お話を読むライブラリーへ戻る トップページへ戻る

「終わりの無い生き方」

牧師 石川和夫

婦人達は墓を出て逃げ去った。

震え上がり、正気を失っていた。

そして、だれにも何も言わなかった。

恐ろしかったからである。

(マルコ一六・八)

 週報の表紙の絵をご覧下さい。ドイツ・ルネッサンスを代表する画家、グリューネヴァルト(一四七〇頃〜一五二八)の「キリストの復活」の部分的コピーです。大胆に復活の瞬間を写実的に描いた、実にユニークな作品です。この絵についての高久眞一さんの論評を紹介しましょう。

 「イエスは闇の中に、太陽とも見えるものを背にして怪しいほどの光に輝きながら、石棺から垂直に脱出し、今まさに空中に浮かぶ。

前面や右手奥に吹き飛ばされている番兵たちが描かれていなかったら、イエス昇天の絵とも取られかねない上昇の勢いだ。

 闇の中に燃える火の玉は、背景の巨岩に象徴される、死という自然界の鉄鎖のような法則を巨大なエネルギーで断ち切った際の爆発を表す。その火の玉の色と、神秘的な外輪の青色とが、イエスのまとう亜麻布に照り映えている。その光源と化したイエスの体の輝きは「山上の変容」を想起させる。波動のように舞い上がる布の、なんと軽やかで自由なことか。」(高久眞一「キリスト教名画の楽しみ方」―復活―、教団出版局)

 中世の教会が復活をどう捉えていたかが、鮮明に示されている絵です。なんと言っても「キリストの復活」は、キリスト教信仰の出発点です。この信仰が無ければ、キリスト教会は生まれていませんでした。

 しかし、キリストの復活を信じるということが、どういうことか、言い換えれば、キリストが復活したということは、信じるわたしにとって、何を意味しているかは、重大な問題です。仮に、キリストは、「神の子」なのだから、死んでも死なないのだ、と信じるならば、それは、キリストがスーパーマン以上の「強い」方だということになります。十字架で死んだのに、よみがえったのだから、「強い」じゃないか、と言われれば、それまでですが、それでは、そのような「強い」方を信じる、ということは、信じる者も同じように「強い」人になることです。確かに、従来の信仰では、信者は誘惑に負けない「強い」人になる、というイメージがありました。強くない信者は、ダメ信者ということになります。「キリストの復活」を信じる、ということは、果たして、そのようなことなのでしょうか?

 ガリラヤへ

ところが、マルコによる福音書の復活物語は、実に中途半端な終わり方をしています。天使に

「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。

『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。

かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

(一六・七)

と告げられたのに、「だれにも何も言わなかった」とあります。そして、「恐ろしかったからである」で結ばれています。マルコによる福音書では、男性の弟子たちのダメぶりばかりが目立ち、婦人たちが、たとえ遠くからとは言え、イエスの十字架の死を見守り、安息日が明けると真っ先に墓に行き、墓が空であることを確認していました。しかし、その婦人たちも結局は、恐ろしくなって、「何も言わなかった」のです。マルコは、男性も女性もダメだった、と言っているようです。

マルコは、どうして、こんな終わり方をしたのでしょうか?古来。このことについては、学者たちの間にも色々と議論があったようです。本来、八節で終わったのではなく、なんらかの事情で結びの部分が紛失したのだ、とか、婦人たちが、何も言わなかったのは、天使たちを畏れたことを表現したものだ、というような解釈がなされていました。しかし、最近では、マルコが意図的に、このような結び方をしたのだ、という解釈が本筋になって来つつあるようです。では、マルコは、何を言いたかったのでしょうか?

荒井献先生は、「問いかけるイエス」(日本放送出版協会)の中で、こう述べています。

「なぜ女たちは天使の命令に直ちに応ずることができなかったのか。それは、女たちもまた、弟子たちと共に、弱い存在であったからである。マルコは、ここに至るまで、いわば『まことの弟子』としてイエスに従い仕えてきた女たちを、イエスを裏切った男弟子たちと対照的に、受難・復活物語の中で積極的に位置づけてきた。ところが最後の場面で、この女たちを沈黙させて物語を打ち切ったのは、この女たちもまた弟子たちと『弱さ』を共有する人間的存在であることを明示した上で、読者に、この女たちと共に『弱さ』を超え、弟子たちと共に、読者にとっての『ガリラヤ』で復活のキリストに出会うことを促している。」(前掲書三五九頁)

問いかけるマルコ

これでお分かりのように、マルコは読者に問いかけているのです。キリストの復活を信じる、ということは、ただ単にイエスの納められた墓が空であった、という事実を信じることではなく、読者である私たちが自分の「ガリラヤ」でイエスに出会うことなのです。このことについて、もう一度荒井先生に聞きましょう。

「ペトロも自らイエスを否認したのである。にもかかわらず、天使がこの個所で、あの再会の約束をもう一度弟子たちに伝えるようにと、女たちに命令しているということは、イエスに対する弟子たちの裏切りが赦されていることを前提しているとみてよいであろう。その上で彼らに、『ガリラヤ』へ行くことが命じられている。ほかならぬあの『ガリラヤ』で、――イエスが『罪人たち』と共に食事の席に着き、病人や障害者をいやし、『女子供』の人権を解放し、ユダヤ・ガリラヤの宗教的=社会的タブーを公然と破り、それが原因となってエルサレムで十字架刑に処せられた、あの『ガリラヤ』で、復活のイエスに出会うことが約束されている。この約束は、ペトロらへの約束であると同時に、マルコ福音書の読者への約束ともなろう。自らの弱さのゆえに、イエスへの信従を誓いながら、それを果たし得ないキリスト信徒への約束である。――あなたにとっての『ガリラヤ』でイエス・キリストの足跡を歩むとき、はじめてあなたは復活のキリストに出会うことが赦されるであろうと。とすればマルコは、福音書の読者に、もう一度福音書を『再読』することを促していることにもなろう。」(前掲書三五七、三五八頁)

終わりの無い生き方へ

わたしにとっての「ガリラヤ」とは、なんのことでしょう?

一つは、弟子達の出身地であり、生活の場でありました。彼らは、そこで自分の生きる糧を得、自分を発揮していました。自分が生きて行く、その現場が、「ガリラヤ」だったのです。もう一つは、共にいてくださったイエスが差別されたり、無視されていた人々と命がけで闘っておられたところです。弟子達も多少は、手伝ったかも知れませんが、それもイエスが主導権を握っていてくださったからこそ、可能だったことでした。祝福の源として先立って戦ってくださったイエスと共に生きたところ、それが、彼らの「ガリラヤ」だったのです。

わたしにとっての「ガリラヤ」とは、ただ単なる平常の生活の場ではなく、常に、弱い者の立場に立って、わたしを引っ張って下さっている、「わたしの生活の場」なのです。わたしはひとりぼっちなのだが、イエスがすでに戦っていてくださった、その場なのです。イエス抜きには、考えられない、私の世界です。

このような生き方は「終わりの無い生き方」です。何度しくじっても、裏切ってもイエスは十字架で死んでくださりながら、私たちの平常の生活の場、、無視され、差別されている人たちが隣人となってくれることを待っている、そのような平常の生活の場で復活のイエスが待っていてくださるからです。

おんちちうへさま

おんちちうへさま

ととなうるなり

八木重吉の詩です。この詩の直前に、次のようなまえがきがついていました。

千九百二十五年(死の二年前)

大正十四年二月十七日より

われはまことにひとつのよみがへりなり

 具体的に、その「よみがへり」が、どんなことだったかは、明確ではありませんが、このとき以来、彼の詩は「称名」(信仰告白)となっているのです。イエスをよみがえらせられた御父なる神の手のうちにある、という喜びが、余分なものを一切、切り捨てたごく単純な詩となります。私たちも同じ失敗や怠慢を繰り返しますが、イエスを死からよみがえられた(直訳、起こされた)神がいつも招いてくださることを信じましょう。重吉の告白が私の告白となるでしょう。

もったいなし

おんちちうへ

ととなうるばかりに

ちからなく

わざなきもの

たんたんとして

いちじょうのみちをみる

(二〇〇〇年イースター礼拝説教より)