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「明るい無関心」

牧師 石川和夫

 すると、イエスは言われた。

「退け、サタン。『あなたの神である』主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

(マタイ四・一〇)

 先週の水曜日(八日)は、教会の暦では、「灰の水曜日」と呼ばれ、この日からレント、四旬節に入りました。レントというのは、古代英語のレンテン、春を意味する言葉で、この言葉自身に宗教的な意味は含まれていません。

 最初の教会では、主の復活を記念するイースター、復活日が守られ、この日に受洗する人たちの準備期間が、主の荒野の試練にならって、四〇日設けられました。主イエスの十字架の苦難を偲んで肉や酒を断ち、ひたすら祈りに励む期間となりました。そのうちに、主の復活にちなんだ公同礼拝の行われる主日、日曜日がこの期間から省かれ、逆算して水曜日から四旬節が始まることとなったようです。

 余談になりますが、灰の水曜日から禁欲に入るので、その前に、思いっきりドンチャン騒ぎをしよう、というので始まったのが、いわゆるカーニバル(謝肉祭)です。リオのカーニバルが今では、世界的に有名になりましたが、禁欲というのは、ひとつの手段に過ぎませんから、反動としてのカーニバルは見当違いというべきでしょう。

 さて、レントの最初の主日の主題は、「神の国の王 試練」です。テキストは、マタイによる福音書四章一節から一一節、「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、‘霊’に導かれて荒れ野に行かれた。」から始まります。

 この「イエスの荒れ野の誘惑」の記事は、その出典となったマルコによる福音書では、わずか、二節で簡単に述べられているだけです(一・十二,一三)が、マタイによる福音書とルカによる福音書では、三つの誘惑を受けられたことが書かれています。

 ローマ軍によって、エルサレムが完全に破壊されたのが紀元七〇年、マルコによる福音書は、それ以前の六〇年代に書かれたのに対して、マタイとルカはそれ以後の七〇年代から八〇年代に書かれたとされています。七〇年以後、テロを繰り返すユダヤ教の原理主義者に手を焼いたローマ帝国は、ユダヤ教に対する締め付けを徹底します。それがかえって、ユダヤ教徒を奮い立たせ、信仰の純粋性を一層追及するようになり、そのため、ユダヤ教を批判するキリスト教に対して、厳しく取り締まるようになります。つまり、「イエスとは、何者だ」ということが問われ、キリスト教の側では、それに対する弁明の必要に迫れられていました。

 マタイによる福音書は、そのような背景で執筆されたようです。マタイは、イエスが、新しいイスラエル、神の民の類まれな指導者であり、古いイスラエルが待望していた、メシア、キリストだ、ということを弁証しようとしました。

 出エジプト記が下敷き

 古いイスラエルの指導者モーセが、エジプトで奴隷状態だったイスラエルの民を率いて、荒れ野で四十年の試練の後に、約束の地を目前にしてピスガの山上でその生涯を終わり、彼の後継者ヨシュアによって、約束の地に侵入します。この四〇年の間に、民は、その試練に耐えかねてモーセを困らせましたし、モーセも神の意志にそむいて約束の地に入ることを許されませんでした。 しかし、新しいイスラエルのメシアは、まず、四〇日の荒れ野の誘惑に勝利を収められて、宣教に出発された、ということを主張するために、この物語が宣教に先立って置かれている、と考えられます。そのことを端的に示しているのが、三つの誘惑に答えられたイエスの言葉がすべて、出エジプトにかかわる申命記から取られているということです。

 まず、パンの誘惑に対して答えられた、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」が申命記八・三。

 次の奇跡の誘惑に対する答、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」が申命記六・一六。

 最後の権力の誘惑に対する答、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」が申命記六・一三と申命記を逆に辿っています。

 さらに、第一のパンの誘惑は、荒れ野で食べ物に窮したときに天からのマナによって命を支えられた、という故事、第二の奇跡の誘惑は、メッサで飲み水に窮した時、モーセが岩を杖で打ち叩いて水を出したという故事、最後の権力の誘惑は、モーセがピスガの山頂でカナンの地を見下ろしつつ死を迎えた、という故事に因んでいる、と言われます。

 現在、問題を起こしている諸宗教あるいは、宗教まがいの治療法は、例外なしに、この誘惑に引っかかっている、と言っても過言ではありません。しかし、イエスは、この誘惑に断固神の言葉によって立ち向かい、ついに、「そこで、悪魔は離れ去った」(マルコ四・一一)という結果となった、と聖書は伝えます。

 この出来事の意味

 この物語の史実性は、兎も角として、この物語の言わんとするところは、意味深いと思います。

 「退け、サタン。

 『あなたの神である主を拝み、

ただ主に仕えよ』

  と書いてある。」

とは、私たちにとって、どういうことなのでしょうか?色々なことが言えるかも知れませんが、一つは、イエスが、ただ単純に神のみに従っていた、という在り方にあった、と思います。それは、幼な子が、どんなことがあっても最後には、絶対に親のもとに帰るように、いつでも帰するところは、神のみである、という在り方ではないか、と思います。これを「明るい無関心」と表現した人がいます。

 東京大学大学院総合文化研究科及び教養学部教授の大貫隆さんです。大貫さんは、東京女子大学でも教えておられるようですが、そのチャペルでの奨励集が本になっています。教文館から最近出版された「神の国とエゴイズム」という本の中で、彼は、こう言っています。

 「何故イエスは幼な子らをこのように愛しまれたのだろうか。幼な子たちには、大人の犯す罪がまだ縁遠いからであろうか。月並みのようだが、やはりそれが正解と言うべきであろう。しかし、それは、幼な子がいたずらをしないという意味では決してない。全く反対に、幼な子のいたずらは、調子に乗ると、とどまることを知らない。一ついたずらをして母親、あるいは父親に叱られて大泣きし、しばらくして、やっと「ごめんなさい」が言えて勘弁してもらったかと思う間もなく、もう次のいたずらを始めている。反省のないこと甚だしい。

 だが、よく考えれば、そのような反省の無さこそ、幼な子の幼な子らしさなのであり、彼らを意識過剰な大人から決定的に分ける点なのである。幼な子は、どれほど叱られて大泣きしても、自分が、他の子供に比べて、「良い子」なのか「悪い子」なのか、内面的に自己点検しようとはしない。幼な子のいたずらは、そんな自己点検の上で、いくら「絶対もうしません」と言ってみても、それで本当にそうなるようなものではない。いたずらは幼な子の存在証明みたいなものだからである。彼らは、むしろ、自分の外にいて、自分に向かい合っている親に叱られ(裁かれ)て初めて、自分のいたずらがよくないことであったことを知る。だから、その赦しも自分で自分を点検することによってではなく、憤った親の後ろを「ごめんなさい」を連発しつつ追い掛け回し、やっと与えてもらう赦しの言葉、つまり自分の外にあるのである。幼な子が、そのようにして自分のいたずらを自覚させられたあとにも、自分自身を詮索することに対して示す無関心、この言わば「明るい無関心」こそは、大人には無い、幼な子特有のものである。」(前掲書二七―二八頁)


 私たちは「神の幼な子」

 イエスが荒れ野の誘惑に打ち勝たれたのは、「神の子」だったから、というのは安易な受け止め方だ、と思います。今日の日課の一つであるヘブライ人への手紙二・一八は、こう言っています。

 「事実、御自身」、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人を助けることがおできになるのです。」

 イエス御自身、神に徹底して「幼な子」であり続けられたからこそ、神の言葉が試練を乗り越えさせた、と言えるのではないでしょうか。幼な子が「明るい無関心」によって、いたずらを繰り返しながら、親の言葉によって、自分の罪を知り、親の言葉によって、赦しを敬遠するように、神の幼な子であり続けられたことによって、試練を乗り越えられた、そのように私たちも自己に対して「明るい無関心」を持ちつつ。神の幼な子であり続けたいと思います。もう一度、大貫さんの声を聞いてみましょう。

 「一見ユートピア的に見えるかもしれないイエスの神の国の宣教は、実は極めて現実中心的なのである。だからこそイエスは、この神の国――とはつまり、真の罪の赦し――に至る道として、自分の罪の内面的な自己点検――それは裏返しの自己肯定に逆転しかねない危険な道である――を勧めず、かえって、この点で幼な子が教えてくれる無関心、自分を自分で裁くことに対する明るい無関心を勧めたのである。」(前掲書三〇頁)

 「大人が再び幼な子に戻るのは人生において不可能であるように、私たちはついにそのような幼な子のごとき明るい無関心に至ることができないかも知れない。しかし、意識過剰な自己点検と他者との比較がふと破れて、不思議に心が安らかとなり、誰とでもゆったりと和合できそうな気がする瞬間が時々訪れることもまた事実である。それが恐らく、私たちが罪の赦しということに最も近づけられている瞬間なのではないであろうか。たとえそれが瞬間ではあっても、実際に出来事となることがあるということ、そこに私たちの慰めがある。」(前掲書三一頁)