2009/08/09 「自分との戦い」 使徒言行録 9:26〜31  (MP3)   
聖書(--善悪の木の実をべた限界のある人間が書いた物である--歴史的な間違いも書かれている--神様はそのこともご存じである--書かれた言葉の奥に見守っている方の目を感じる--字面をだけを見るのではなく、なぜこのことが書かれたかを見る目が必要--) 精霊の慰めを受け(--サウロを殺そうとしていた信者たち”教会とはそのような人たちもいる”にバルナバが執り成しをした--自分と戦っている人”バルナバ”は聖霊の慰めを受ける--) 姜尚中(かん・さんじゅん「悩む力」--信じる者は救われるか--自分でこれだというものが得られるまでは悩み続ける--) 小海基牧師(--説教ができなくなった牧師の代わりに八週間、まだ神学生だった石島牧師が説教した--それにしてもすさまじい話です。語れなくなり。聖書をたどたどしくつたいながら読んでゆく、それだけでも、いや、それのほうが神の言葉が届いていたとは、肝心言葉は人間が語っているのではないのです。主の言葉が担われ届けられているのです--わたしたちはそのトンネルとして用いられているにすぎません--) わたしたちは中途半端でもいいのです 


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