2005/03/06 「神に気に入られる」 マタイ 17:1〜13  (MP3)   
 菅原伸郎"すがわら のぶお"(--朝日新聞社--こころの頁--「宗教の教科書 12週」--宗教とは気づくものです。疑って疑ってその挙句にハッとして「なーだそういうことか」と了解するものです--)
 耳のあるものは聞きなさい(--気づきなさい--)
 これ”イエス”に聞け(--神の事がわかるぞ--)
 信仰(--神は私の愛する子とおっしゃることを信じる--)
 塩谷直也(--関連記事はこちらをご覧ください)

2005/03/13 「自分の義、神の義」 マタイ 20:20〜28  (MP3)   
 信仰(--自分中心になっている自分に気づく”謙遜”--)
 宗教における義(--自分の義になるのはいけない”自分中心になる”--)
 自分の義(--レッテルを貼るるようになる--)
 山口道孝(--神父--日本の対日外国人の問題やアジア諸国に対する対応のまずさのほとんどが日本側の問題に根差しているといわざるをえない--大多数の日本人は強制送還や経済制裁を好み、相互の歩みよりと相互理解を求める姿勢ははなから持とうとしない。それは武器を使わないだけでどこの国でも社会の底辺にいる一番弱い人たちを攻撃し精神的ダメージを与え、命をも奪うことになると、また力の論理や利益中心を進める米国政府の発想と何一つ変わらないということに気づかないことに憤りを感じる。嫌いに思える他者を違うと感じる価値観を受け入れてみようと思う人が、また自分が大切にしてるよいと思う価値観を他者にわかりやすく、他者が受け入れる形で生きて示そうとする人たちが世界中で増えていくことを望んでやまない--)

2005/03/20 「自分は救えない」 マタイ 27:32〜56  (MP3)   
 棕櫚の主日(--イエス様がエルサレムにお入りになるときに、民衆が棕櫚の枝を振って、イエス様を迎えたという記事に基づいています--)
 わたしたちもイエスをののしる?(--キリスト教も、一番肝心のイエス様をクリスチャンが、牧師が、十字架につけている場合が多かったのではないかということをしっかり読み取らなければいけないと思います。イエス様を十字架につけたのは、この、律法学者や祭司長たち、長老たちばかりではなく、わたしたちも入るのです--)
 「他人は救ったのに、自分は救えない」(--えい!とばかりに十字架から飛び降りて、人々を、あっ!という間に救ってみせる奇跡の力があるのが本当ではないかと誰でも思います--イエス様を十字架につけた人たちは、本当に快哉を叫んだのです。自分たちは、悪の極みを滅ぼした。インチキの神を滅ぼしたのだ、そういう意識を持ったにちがいありません--)
  シュバイツァー(--説教集「神は言葉の中に」ヨルダン社、--ここで彼らは、イエスは彼が助けようとされたまさにその人たちのことのみを考えていたがゆえにこそ、自分自身を救おうとはされなかったということを、理解すべきであったのです--)
  ザアカイだけを見つめたイエス(--その当時の常識から言えば、一番いけないことをイエス様は自分から進んでやりました--それほどまでに、ザアカイに集中したのです。ザアカイだけを思いました。これが、他人は救ったが自分は救わなかったということなのです--イエス様はそのときに、ザアカイのことしか考えていませんでした。エリコのことがどうなるか、エリコの人たちが自分のことをどう思うかは、一切考えなくて、ザアカイのことしか頭にありませんでした。この、愛がわたしたちを救うのです。神の愛は、わたしだけに向かうのです--)
 ユルゲン・モルトマン(--説教集「無力の力強さ」新教出版社--神はわたしたちのことで苦しまれる(Gott leidet an uns)、なぜなら神はわたしたちが好きだからです(denn er mag uns leiden)。語呂合わせどころではありません。この言葉の中に非常に多くのことが秘められています。つまり、神はわたしたちを好きなのです。またわたしたちは、ほんとうに神に好かれているのです--人間が希望を失うところ、無力になって、もはや何一つすることができなくなるところ、そこで、そこでこそ、試練にあい、ひとり見捨てられたキリストは、そういう人びとを待っておられ、御自身の情熱(ライデンシャフト)にあずからせてくださるのです--人間が、希望を見捨て、幻想を追いかけるところ、その将来や最も大切なものを力でねじ曲げるところ、そこに、祈りつつ叫び、神のみ心を勝ちとるキリストが彼らを待っておられ、御自身の苦難(ライデン)にあずからせてくださるのです--)
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2005/03/27 「遺体はない」 マタイ 28:1〜10  (MP3)   
 遺体はない(--常識的な考えではイエスは遺体のはずです--人間の考えでは生きておられるはずがない--あの方はここにおられない”神の目から見る”--)
 グレーシーアレン(--俳優--神さまがコンマを打っておられるところにけっしてピリオドを打たないようにいたしましょう--神様から見たらコンマ”まだ続きがある”--神様はすべてをコンマにしておられるのに人間はそれをピリオドに考えている--死んでもこの先がある”復活の信仰”--)
 信仰(--私たちの考えてることとまったく別の事を神さまは完全な形で用意をしておられるということを信じる--)
 オサリバン(--カトリック神父--「行き詰った時」--私が発見したやり方ですが*--いったん心配が膨れ上がり私を圧倒しそうになると、「イエスよここにいてくださいそしてすべてをあなたが解決してください」と祈ります--単純ですが効果は絶大です--)


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