お話の聞き方説明
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2005/01/02 「犠牲によって生かされる」 マタイ 2:13〜23 (MP3)              
もう戦はいらない スペイン3.11事件の追悼文 「わたしは3.11で息子を殺されました。痛みで胸がいっぱいですが私たちとともに泣いてくれた人々をとおして神の慈しみを感じさせられました。皆さんにもお祈りをお願いしますがそれは息子のためではなく、なぜなら息子は天国にいるからです。テロを実行した人々とテロを実行した人々とそれを企画した人々のために祈ってください。彼らがもたらした傷をいやすためまた彼らを支配している悪を彼ら自身が乗り越えるために必要な愛を見出すことができるように祈ってください。私たちは息子の遺体を前にして暴力が世の中から無くなるように全力を尽くすことを誓いました世界に暴力より愛を選ぶ人々が増えればいくらテロが起きても愛が打ち勝つと確信しています。」

2005/01/09 「神の子の即位式」 マタイ 3:13〜17 (MP3)        
 イエス様の洗礼(--正教会ではイエス様の顕現"イエス様が洗礼をお受けになったのは、単に罪を清めるということではなくて、まさに、神の子であることを公にして、神の子の即位式をなさいました。ここに現れた"というように表現している"--洗礼は罪を清めていただいて、新しく生まれ変わる式と受け止められてきました--イエス様は神様が人となられた方だから、清めていただく罪はないのに、なぜ洗礼を受けるのかと、古来続いた議論です。正教会では、早くからイエス様の洗礼は、私たちが受ける普通の洗礼とは違うと受け取っています--神様の心にかなうということを、これから表すということ、それを公にした--) 私たちの洗礼(--イエス様の洗礼に共通したものがある--つねに古いわたしに死んで、新しいわたしが、神の息をいつも受けて、神の息吹の中で、生き生きと生きる--)
 山浦玄嗣(--「ふるさとのイエス」、キリスト新聞社--洗礼を「お水くぐり」と訳した--水をくぐるのである。沈むのでもない。もぐるのでもない。くぐるのである。「沈む」は水の中に入って水面から見えなくなってしまうことである。「もぐる」は自分の体を頭ごと水中に沈めることである。「くぐる」は身をかがめて、物の下や、狭いところを通り抜けることである。この場合は水面下を通り抜けることである。「沈む」と、「もぐる」には「通り抜ける」意味はない。「くぐる」の持っている、この、「通り抜ける」という意味が、バプテスマの持っている心を表すのにまことにふさわしい--ヨハネは洗礼を受けたいと希望する人を川の深みに導いた。そこでその人は身をかがめ、ズブリと全身を水に沈める。するとどうなる。当然、呼吸が出来なくなる。普通の人は二分と我慢できない。一分でも相当に苦しい。窒息死か溺死がその先に待っている。水の中にもぐりながら、その人は考える。今、自分はこれまでの自分と別れるのだ。今までの生と別れて、今ここで死ぬのだ。うーっ、苦しい。鼻や口からブクブクと空気が漏れる。もうだめだ。ザバッと彼は水面に顔を出す。苦しげに顔をブルブルッと振って大きな口を開け、ブァーッと息を吸い込む。新鮮な空気が窒息寸前だった彼の肺の中に奔流のように吸い込まれる。新たな命が彼の全身に流れ込む。喘ぎながら彼は思う。俺は今新たな命に生き返ったのだ。これからは新たな自分になるのだ--)
 G・Sホプキンス(--「私にとって『復活』とは」、日本基督教団出版局-- この凡夫、凡句、とるに足らぬ陶器のかけら、木屑、すべては不滅のダイアモンド、そう、消えることのないダイアモンドなのだ--)
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「分類キーワード(洗礼)」

2005/01/16 「イエス様の助手」 マタイ 4:18〜25 (MP3)              
 礼拝は奏楽で始まる(--由木 康牧師"ゆうき こう"--讃美歌作家--「この世と神の国とのカーテンである」--石川牧師解説「主客転倒の時"心の切り替えの時、自分は人を許してきたつもりだけれど本当は許されていた"--奏楽の時に謙遜になって行くとき」--)
 私についてきなさい(--お前なしにはやっていけない--)
 絵門 ゆう子(--えもん ゆうこ--アナウンサー、女優、エッセイスト、産業カウンセラー--「癌と一緒にゆっくり」新潮社"闘病記"--聖路加緩和病棟"ホスピス"に入院--死に向き合う--医師からダメなんてないよと言われたとき。細胞の一つ一つが歓喜の声を上げた--助けようとする周りの人に感動する私--その感動を伝え、今度は自分が周りの人たちの助けになりたいと思う私、生きようとする命を取り巻く環境は前に向かう感謝の心で満たされたエネルギーの連鎖になっていました。周りの誰か一人にでも、もうだめという気持ちがあったならこの奇跡の回復を生んだ好循環は生まれなかったと思います--)
 イエス様はダメなんてことないよ、この言葉をすべての人に伝えてほしい、だから"おい"頼むよおっしゃっている

2005/01/23 「選ばれた目的」 マタイ 5:21〜31 (MP3)              
イエス様の目的(--旧約の完成--世界すべての人の救いの源--)
 私たちが選ばれた目的(--救いの源になる--祝福を送る--)
 新約聖書の目的(--愛”自分のあり方が愛に変えられる”を伝える--)
  鈴木 浩(--映像制作会社-- プロデューサー&ディレクター --「祈る心 母」”末期がんの母の介護”こころのともしび社--施設から帰るたびに、母が私に繰り返しかける言葉「ちゃんとご飯食べるのよ、気を付けてね、お祈りしてます」--あるとき教会でお祈りしたいと言い出したので教会でお祈りした--「マリア様、お元気ですか、浩をお守りください、こんなに元気な子になりました。どうもありがとうございます。イエス様、マリア様どうぞ浩をお守りください。浩と申します。鈴木浩でございます。願い奉る。アーメン」--野の花の一つ一つに「いいこ、いいこ」と声をかけた--いつも祈ってくれるお母さんのおかげでつらく重いはずの介護の日々が明るく輝くものになった--母は「私は何もできなくてすみません」といったがそうではない。たとえ親として子のために何もすることができなくても、子のために祈ることはできる。それを母は身をもって示してくれた。母が繰り返した「ありがとうございます」の祈りを私も今繰り返している--) 

2005/01/30 「素直なイエスさま」 マタイ 5:21〜31 (MP3)              
子どもたちとの合同礼拝です
 子犬と言われた母親(--子犬は差別用語として扱われていた--娘の命を救ってほしいと願った母親は素直な気持ちを持っていた--)
 本田 亮(--環境マンガ作家--釣った魚を買い、海に帰した青年とその青年をほめた釣り人をみて「私にはこのようなことができなかったがせめてこの話を書いた本を作った」--)


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