2003/06/01 「内に入るイエス」 マタイ 28:16〜20  (MP3)   
 主題(キリストの昇天)
 重兼 芳子(--しげかね よしこ「癒やしは沈黙の中に」--聖書と共に生きることのもうひとつの妙味は人生のさまざまなマイナス要因がマイナスの絶妙な組み合わせによってプラスに変わっていく。生きていく上での苦しみは多くあるが苦しみが適材適所に配されることによって人を愛することを知る。自分を発見する目も育ってくる。そして人生そのものが人と神とのネットワークによって織り成されていることをも知るようになる--人の目からから見れば、醜いこと、弱いこと、苦しいこと、おろかなことは無価値だろうけれども神はそれらを上手に配置することによって、無価値に見えることの真実の価値を私たちに示そうとされる。病気も、老いも、死も、私たちにとっては不条理そのものであるが。聖書と共にそれが組み合わされると不思議な光を放ち始める。キリストの十字架の死は、”死”というもっともなマイナスの要因を人類の救いと愛へと見事に逆転された。十字架上のキリストの極限ともいえる苦痛が人間の苦痛を背負ってくださる最高最善の癒しなのである。私たちの中にあるおろかさも、弱さもキリストのとりなしによって許され喜びと感謝へと変化していくのである--)
 ”昇天”の意味(--わたしは世の終わりまでいつもあなた方と共にいる--あなた方の内に入る--)
 伝道(--”あなたも神の子なのです”ということを伝える--”悔い改めなければ地獄ですよ”ということを伝えるものではない--人に”ねばならぬ”ということを伝えることでもない--)
 手遅れの癌を宣告された婦人(--私がここにいる直らなくてもよいではないか、私が共にいる長患いでもよいではないか、私が共にいる何にもできなくてもよいではないか、私が共にいるそれでよいではないか、ある晩キリストがそういってくださった--)

2003/06/08 「心が一つに」 ルカ 11:1〜13  (MP3)   
 聖霊降臨日(--ペンテコステ”50日目”弟子たちが復活した日と考えてもよい--)
 晴佐久昌英神父(--人は死なない。私もあなたも決して死ぬことはない。それに気づいたとき初めて人は生きる意味と喜びを知り、真に生きるものとなる。--やがてこの世から消えてしまう自分に何の意味があるか--人は今生きていてやがて死ぬという考えが実は脳みその作り出したフィクションであることに気づくなら、それらの恐れも無意味になる--人が生まれ出て行くその世界はそれがどれほど広く深い輝きに満ちているかはわれわれには想像もつかない--胎児を考えてほしい、胎児にとっては母体の中が全てであり、外部のことをまったく知らない、しかし、ひとたび生まれ出たならばそこに果てしない青空と星空が広がりさわやかな風と水があふれ愛する人との出会いと交わりがあり生きる喜びに満ちていることがわかる。それらは生まれ出る前からすれば想像を絶する歓喜の世界であるはずだ。同じように僕らが見たり聞いたりしているこの世のリアリティはまことの命の世界から見ればいまだ胎児の世界に過ぎない。)
 死んだらお仕舞いか(--死を通して永遠の世界に誕生する--すべての人は死なない--)
 自分の言葉で語ったときにはその言葉は人に通じる(--全世界に通じた--)
 詳しくはここをご覧ください

「分類キーワード(信仰)」

2003/06/15 「十字架の主こそ」 ルカ 10:17〜24  (MP3)   
 横川和夫(--「降りていく生き方」”浦河べてるの家”太郎次郎社--私たちは近代化や合理化を通じて人間として本来持っている基本的に大切なものの上に学歴とか経済力とか便利さとかをオプションのようにプラスアルファーの価値として身につけてきたわけです。回復するということは人間が人間であるためにそうゆう背負わされた余計なものを一つずつ取り去って、本来の自分を取り戻していく作業なのです。何をしたらよいか何をしてあげなければならないかでわなく、何をしないほうがよいか何をやめるか、つまり足し算ではなく引き算がべてるの家のキーワードです。それが降りていくということでもあり、そうすることによって人間が本来持っている力を発揮できるようになっていくという考え方なのです--)
 聖書の言葉を出さなくとも、キリストの示された生き方を示している(--キリストのように生きることが神様の言葉が伝わる--)
 贖罪信仰(--これだけだとどうしても独りよがり”傲慢”の信仰に陥る--)
 浦河べてるの家(--向谷地生良”むかいやち いくよし ソーシャルワーカー”--精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です--治すのは自分の力”本人の気持ち”--叱ることをしない、誰も攻めない--発作を恐れなくなった--)

2003/06/22 「どうしたやら?」 ルカ 14:15〜24  (MP3)   
 悔い改め(--メタノイア”見る視点を変える”--神様の視点に変えてみてごらん”私たちは神が目的を持って創られた神の子である”--)
 洗礼(--資格の問題ではなく私は神の子なのだと信じて神に分かりましたと返事すること--)
 宴会(神が共に喜びたいと願って開いた宴”神の招き”--招きを断った人”自分にはいつでも宴会に出る資格があるからと思い込み自分の都合だけでことわる”--招かれた人”自分には資格がないと思っていた貧しい人、虐げられた人たち、ちょっとしたきっかけで教会に引き込まれた人たち”--)
 放蕩息子のたとえ(--兄”一人の人が悔い改めて父の家に戻ってきたのに喜ばなかったユダヤ教徒”--) ヘンリ・ナウエン(Henri Jozef Machiel Nouwen、カトリック司祭元ハーバード大学教授--ラルシュ共同体”知的障碍者の共同体”--「レンブラントが画いた放蕩息子の解説」”--小さな実に美しいものを見ましたそれは私に大きな喜びを与えてくれました。それが神の視点で小さなことを大きく喜んでくださる。ろくでもない世の中にあっても小さなことに喜びがある。--人々が許しあえる瞬間に気づく、数多くの希望のしるしを目にする。すべてが整うまで待つ必要はない。手じかにあるあらゆる小さな神の国の兆しを祝うことができる。それが天の喜びに預かる生き方だ。”--私のうちには仲間はずれにされた思い、痛み、心の傷がたくさんある。しかしすべての苦しみの只中に隠されている喜びを受け取ることを選ぶようにすれば人生は祝宴となる。--喜びは悲しみを少しも否定するものではなく、悲しみを更なる喜びをはぐくむ肥沃な土壌へと変容させるものだ。--)

2003/06/29 「信じるなら・・・」 信じるなら・・・  (MP3)   
 癒し=救い
 この名のほかに救いはない(--キリスト教が絶対の救いと思い込む言葉ではない--客観的な表現ではない--ペテロにとっての信仰告白である--)
 平野美津子(「たくさんの愛をありがとう」”末期ガンの夫と共に”明るい闘病記”回想療法”生きがい療法--子供たちへのメッセージ”ハンナへ・・・・”後のことは心配要らない、すべて神様に任せればいい--ガダラの豚「中島 らも」”ハクナマタタ「心配ないさ」”大自然の中の姿勢--)
 運(--良かったら神様感謝、悪かったら神様呪う--)


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