2003/03/02 「しかなくとも」 ルカ 9:10〜17  (MP3)   
 主題(奇跡を行うキリスト)
 「神の国について語り」(--”福音を伝え”と書かれているのではありません。ルカは”神の国はイエス様とイエス様に従う弟子たちの居るところに現れる”ということを主張したいようです--)
 使徒たちは帰ってきて、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた(--ある人はうまくいき、ある人はうまくいかなかったかもしれません。色々な事がありながら、イエス様の所に帰ってきました--その後に共食”聖餐式の象徴”の奇跡が起こりました--)
 五千人の人の共食(--これは女性、子供を含まない大人の男性だけの数です--四つの福音書に書かれています--この奇跡において、”神の国が現される”と受け止めたからではなでしょうか--このようなことが、科学的に可能かどうかを詮索するのは意味がないと思います--)
 「パン五つと魚二匹しかない」(--その、”しかない”ものをイエス様にそっくりお預けしたことだと思います--) 十二という数字(--弟子たちの数です。十二というのは、全世界を意味しています。イエス様が十二人の弟子をお集めになったのは、全世界に対して神の国を述べ伝えることを意味しています。そして、弟子たちの数ほど籠に余り、祝福されたというわけです--)
 森内俊雄(「福音書を読む」−イエスの生涯―、日本基督教団出版局、2001年5月21日、初版、78,79,80,81頁--イエスがなされたことは乏しきなかにあって、いやがうえにも乏しきものを感謝とともに神にささげられたことである。この奇跡物語で大事なことは、この一点にかかっている--どのような捧げ物であっても、神の目に小さすぎるというものはない。乏しくて小さすぎて、神が用いられないなどという捧げ物はないという教えがこめられている--あるとき、階段から転落、左手首を複雑骨折--神父から「痛いですか?」と声をかけられた--「痛いです。」と言いました。すると、神父が 「どうか、その痛みを世のもっと痛める人々のために捧げてください」おっしゃった--私の肉体の痛みはあくまでも自分ひとりのものであって、ただひたすらこれに耐えていくしかない、と思っていた。痛みを覚えるのは、治癒に向かっている証拠なのだから、耐えていればよいとだけしか考えていなかった。しかしながら、この世には私よりもっとつらく絶望的な痛みにわが身をさらしている人もいるのである。痛みすら覚えない、極限の痛みもあるのである。私は神父の言葉に衝撃を受けたが、だからといって、それで痛みが消えて無くなってしまったわけではない。だが、痛みの意味が変わってしまった。この自分のささやかな痛みが、誰か知らない、罪なき人の痛みの幾分かの助けになるのならば、この痛みを真摯に捧げようと決心した--)
 より少ない物でも、それを神に捧げる(--そこに、計算できない素晴らしい奇跡が起こります--)
 森内さんの話のような痛み(--それを捧げるということによって、他の人々が潤うという、これが神の国なのです--)
 神の国(--イエス様に従って、捧げる者がいるところ--)
 聖餐(--私たちの「しか、ないもの」をそのままに主に委ねる決心をして、お任せします、という歩みのしるしとして、聖餐に預かりたいと願います。そして、私たちも同じように満腹したいと願います--)
 (詳しくはこちら)

「分類キーワード(聖餐)」

2003/03/09 「まず、信じる」 ルカ 4:1〜13  (MP3)   
 アンピョン(--韓国の神学者--聖書の神はまさに苦難と不義の現場において苦難を受ける人間と共にあるが故に全能であり得ない反面まさに自身を捨てるその行為自体が全能の絶頂であるといえよう--)
 全能の神(--奇跡を起こすことができるということだけで考えると神を私たちとおなじ平面においていることになる--自分を捨てて限界のある人となられ、絶頂の苦しみを受けられた--なぜならば神は愛だからです”苦難の近くにおられる”--)
 レント(--神が苦しまれたということを認識する季節--)
 荒れ野の誘惑(--イエスの宣教の始めとしておこった--イエスに従う者も同じく何を味わうかもしれない--イエスが苦難に勝たれたということをもって私たちも究極の勝利を得る--空腹になられた”神が養うマナで満たされた”--神を試みる”出エジプトの民が水に乾いたとき、モーセが試みた”--すべての権力にひざまずく”出エジプトの民が偶像を礼拝しようとしたとき、あなたの神のみに仕えよに対応する”--この物語が歴史的事実ではないと考える学者が多い”伝承から生まれてきたといって無意味であるとはいえない”--イエスは私たちと同じ苦しみに遭われ、それに打ち勝った--)
 マルチン ルーサーキング牧師(--私は皆さんが今日わたしに向かってあとどのくらいかかるのかと問いかけていることを知っています。私は今日の午後皆さんに申し上げねばなりません。現下の状況がどれほど困難であろうとも、今の時がどれほど挫折感に満ちていようとも、けっしてそんなに長くありません。なぜなら地に押しひしがれた真理は必ず再び立ち上がるのですから。あとどのくらいでしょうか、もうまもなくです。なぜならどんな嘘も永遠に生きることはでないからです。--あとどのくらいでしょうか、もうまもなくです。なぜなら私の目が主の来臨の栄光を見たのですから。主は怒りの葡萄が蓄えられている酒船を踏みつけておられる。主はその恐るべき素早い剣の致命的な光を放たれた。主の真理は行進してゆく--)

2003/03/16 「そこにいること」 ルカ 11:14〜26  (MP3)   
 主題(悪と戦うキリスト)
 ミッシェルクオスト神父(--現代人の悲劇は神を否定するか,あるいは神なしで済ませようとすることである--人は神から遠ざかれば遠ざかるほど鎮静剤の世話になり、自分を損なうようになる。救い主キリストを見いだせない人間の罰はこうして内面から自分自身を破滅に導いていく、だが、キリストは私たちの内面を統一させ、平和に保つことができる方なのである--祈りは神のためにそこにいる”礼拝に参加する”ことです”大丈夫だという気持ちになる”--)
 バアル ベルゼブル(--悪霊の親分--)
 イエスの癒やし(--当時はイエス以外にも癒やしの行為をする者がいた--神の国が私たちのただ中にあるということを示した”これが福音”--)
 神の国にある(--気をつけないと、私たちはいつの間にか第三者的な評論家になってしまう--祈りが必要です--)
 荒れ野の試練(--イエスにとって無駄な時間ではなかった--)
 私たちにとって無駄な時間はあり得ない(--神のためにここにいることを自覚する--)
 晴佐久昌英神父(--晴佐久昌英著『だいじょうぶだよ』女子パウロ会P23〜25より」--祈るときは 春のうららのひなたぼっこ- ゆっくりとまぶたを閉じて なんにも考えないで お日さまの親心を受けて あふれくる光に心をさらして雑念を雑菌もろとも日に干して あくびなんかして 祈るくつろぎは ひなたぼっこ ふわあ 祈るときは 山深い温泉の露天風呂 ゆったりと手足をのばして なんにも気にしないで 大地の思いやりに包まれて あふれくるお湯に体を委ねて 疲れを湯気とともに星空へ放って 鼻唄なんか歌って 祈るよろこびは 露天風呂 ちゃぽん 祈るときは 腕の中で眠る赤ちゃん  ぐっすりと手足を丸めて なんにも悩まないで  お母さんのぬくもり信じて あふれくる優しさに全てをあずけて いやなことはよだれと一緒に流して 夢なんか見て 祈るやすらぎは 眠る赤ちゃん ばぶぶ--)

「分類キーワード(愛)」

2003/03/23 「人のための苦難」 ルカ 9:18〜27  (MP3)   
 主題(受難の予告)
 アントニュース修道会(--病院の正面玄関祭壇に、グリューネバルトの「十字架にかけられたもの」という絵がかけられています--この病院は、約500年前から、世間より排斥されていたハンセン氏病患者やペスト患者を収容していました--この絵に画かれたキリストの体は黄色で、唇は瘡蓋だらけです--これは、ペスト患者をあらわしています--この病院の患者は目の前に苦痛に満ちたリアルな十字架上のキリストの姿を、自分に重ねて、見ていたにちがいありません--お前たちのその悲しみ、苦しみは自分がこのように負っているぞ、という励ましを絵が与えていたようです--)
 わたしが問われている(弟子たちに、「私のことを何者だと言っているか」とお聞きになった後で、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられました。ペテロが弟子たちを代表して「神からのメシアです。」と答えました--”メシア”という表現は、意訳のようです--弟子たちが立派な告白をしながら、後に、イエス様を裏切ります--ですから、本当には、分かっていなかったのです--「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい--この御言葉の前には、誰でも、大なり小なりコンプレックスを持ちます--自分を捨てることは、そう簡単にいきません--イエス様に、十分に従っていません--本当に御言葉に従うときには、これ以外ありえないほど大事な御言葉なのです--)
 片山 日出雄大尉(「日本の罪を負って死ぬ」--1947年10月23日--ラバウルで銃殺--第二次世界大戦--復員して、結婚--1946年、米軍総司令部から出頭命令--軍事裁判にかけられました--まったく覚えのない罪の結果でした--爆撃機が、日本軍に撃墜され、その捕虜を銃殺した責任者として裁かれたのです--彼は無実を訴え続けました。日本軍の彼の上官が、彼に責任を転嫁したようです--彼は持ち前の英語力と深い信仰で、光教会という名前の教会を収容所の中に作り次から次に、洗礼を受ける人が出てきました--遺書”人生の不幸によって、わたしが、より恵み深く、よりキリストに近づいたことを神に感謝いたします。私は戦時のことを回顧して、豪州人に対して悪しきことを、いささかなりともしたとは思いません。アンポン在勤時代には、彼らに対して、反対に良いことをしたと思っています。第二次大戦の舞台で、日本のなしたことを回顧します時に、国民の一員として、非常に重い責任を感じます”--島崎暉久「勇気の源泉」、新教出版社、新教新書、1986年10月25日、第一刷、207-208頁、? 愛と死と永遠とー片山日出雄の日記--国民各位は戦時中、直接的であろうが、なかろうが、すべての人々と共に、この共通な罪にかかわりあったのを自覚しなくてはなりません。各国民の感情的偏見と偏狭な忠誠心と、国々のわがままによって、世界は荒廃してしまいました。世界各国が犯した罪を審判するために、今次大戦中、各国人がそれを得んと全力を挙げ苦闘したところの『神の義』が必要となるのであります。平和がやってまいりましたけれど、私たちの最後の血を必要とするのです。世界がキリスト教徒の『悔い改め』の上に正義を打ち立てないかぎり、私たちは正義の全貌を知りえないのであります。各国が結ばれて平和と愛の家庭生活に入る前に、世界は悔い改めを真に必要とします。人類のほとんどは悔い改めの意義を忘れてしまいました。この悔い改めこそ絶対に必要なものなのです。最大の問題を人類は、その手に握っているのです。第一に悔い改め、第二に悔い改め、第三も悔い改めでなくてはなりません--私がここで処刑されるとしても、わたしは豪州人になしたことのために死ぬのではなくて、日本が戦時中なしたことの故に死ぬのであります--日本の皆様が、私の犠牲の記録を読まれて、聖なる光に打たれますよう、神の御栄光のために謙遜な願いとします。私は主と共に十字架につけられましたので、生きるのは最早私ではなくて、キリストが私の内で生きていられるのです。私の死の意義が、日本が、御前に犯した罪を贖うために、主がなされたように、日本のために血を流すことにあると悟りました。”前掲書、208-209頁”--)
 私のようなことが起こらないためにも(--「せっかく幸せに暮らしている人の幸せを壊すわけには行かない、わたしが死ぬのだ。」--雄雄しく、その死を引き受けられました--)
 私たちは、ただ無駄に死ぬのではない(--人の罪のために死ぬのだ--キリストの十字架と死に重なり得ます--私たちより前に死んでくださった、この片山大尉ほかキリストを告白して死んでくださった多くの人々の、死による贖いが生かされています--)
 イラクで流される血(--私たちの悔い改めを呼びかけている血--本当の贖いの血になるように生かされるの--悔い改め、真剣にキリストに従っていく--)

「分類キーワード(不条理)」
                                                                                       
2003/03/30 「苦難の栄光」 ルカ 9:28〜36  (MP3)   
 今回は、イエス様が山に登っておられるときに、白く姿が変わって、旧約の代表者であるモーセとエリアと語り合ったことに、弟子たちが感動して、この三人のために仮小屋を立てましょうと言いましたが、イエス様は、このことを誰にも話してはならないと言ったお話です。
 ルカによる福音書(--マルコによる福音書が元になりました--ルカは大幅に筆を加えています--ルカは、イエス様は何か重大なことをなさる前には祈られるということを書いています--祈るために、山に登られた、祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わられた--マルコではエリアがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていたと、書かれているのと比較しますと、マルコは、何について話していたのか書いていませんが、ルカは、イエス様の最後について話していたと説明を加えています。 "最後"と訳された言葉は、旧約の出エジプト記のタイトルの「出エジプト」"エクソドス(旅立ち)"と同じ言葉が使われています--ルカは明らかに、出エジプト記のモーセの出来事を思い浮かべながらこの記事を書いたのです。
 イエスが、このときを期して十字架の死と、復活の栄光に向かう旅立ちをなさる、ということに対比しているのです。
 苦難に耐えることが栄光に触れること(--眠いという、悪い状況なのだけれども、それをじっとこらえていると、栄光に触れる--イエス様ご自身が、苦難を受け止めるという決心をなさったことが、栄光に満ちたことになる--)
 苦難の栄光に生きる人(--青森県弘前市の郊外、岩木山のふもとの、自宅に「森のイスキヤ」という名前をつけて、客におにぎりを出して、泊まりたければ、泊まりなさい、という施設を運営しておられる、81歳の佐藤初女”はつめ”さんという方がいらっしゃいます。「食は命」ということを確信しておられます。「自分が出来ることから」というテーマで心理学者の河合隼人さんと対談したとき、今の時代にしゃべりたい人がたくさんいるのに、聞いてくれる人がいない、と言われたことに深く共感し、自分は専門のカウンセラーではないけれども、じっと聞いてあげようと決心し、そのように運営しておられるそうです。
 最初は、四畳半の広さで始めたのですが、そのうち狭くなってきたので、二十畳に広げました。その資金は、聖地旅行をしようとして蓄えていた預金をはたいて作りました。このことが1995年、映画「ガイアシンフォニー」”副題:地球交響曲第二番”で取り上げられ、ますます、佐藤さんを訪ねる人が増えました。
 寄付も集まり、二階建ての家となりました。このときに「森のイスキヤ」という名前がつきました。
 「イスキヤ」という名前は佐藤さんがイタリア旅行のときに聞いて感動した民話に由来しています。
 イタリアの富豪の息子が恋愛も含め、自分の願いがすべて成就したときに、急に倦怠感におそわれ、生きる気力を失いました。
 その彼がふと、幼いとき、父に連れて行ってもらったイスキヤ島を思い出し、その島の自然の中で生気を取り戻し、社会のために奉仕しました。
 この民話の中に出てくるイスキヤ島は海の中です、ここは森の中ですから、「森のイスキヤ」としたようです。
 若々しい体でみんなを驚かせながら大きな働きをなさいました。
 誰も想像も出来なかったようですが、佐藤さんは10代から30代にかけて結核を17年間患っていました。
 戦前のことです。当時の結核は、今のガンと同じで、死の病と受け止められていました。
 17歳のときに発病しました。同時に、お父さんが仕事に失敗して住む家もなくなるという状況でした。
 長い闘病生活を続けました。佐藤さんは、学校の教員をしながら24歳のときに結婚しました。
 夫は50歳で再婚でした。既に二人の子供がいました。佐藤さんは妊娠しました。
 周りから、結核の体で生むことは絶対だめだといわれました。しかし、彼女は生みました。
 夫の連れ子の二人は彼女の子供の世話を手伝いました。子供は無事育ちました。
 佐藤さんは、闘病生活の最中に、シスターがそっと枕元に置いた「小さき花のテレジア」を読みました。 テレジアは重い病にかかりながら、多くの本を書き残し、たぶん19歳でなくなりました。これらの本は、たくさんの人に読まれました。
 井上洋二神父、作家の遠藤周作も影響を受けたようです。
 佐藤さんは、この本を読んで、信仰を持とうと決心しましたが、洗礼式までは、なかなか時を得ませんでした。戦争が終わり、33歳のときに洗礼を受けました。夫はそのことに何も言いませんでした。
 夫は79歳で、病で亡くなりました。亡くなる一週間前に、夫が洗礼を受けたいと言い出しました。
 彼女は、夫は、意識が混濁しておかしくなり、上の空で言ったのだろうと心配しました。
 何とかして、確かめようとしました。
 そのことを、病床の夫が察知したのでしょうか、「死の間際になると、しゃべることが出来ないから、書き取ってくれ」と言いました。
 彼女は一言、一言、書きとめました。
 「お祈りの光集まり、わが身をつつみ、わが身をよみがえらせん」。
 彼女は、素晴らしい信仰であることに心をうたれました。
 こうして、彼女の夫は、病床洗礼を受けました。
 その後、意識がはっきりしたままで、最後を迎えたい、ということから、夫は、痛みを和らげ、意識を混濁させるモルヒネを拒否し、苦痛を真正面に据えて、主治医に、ありがとうと言って、息を引き取りました。--”
 奉仕には犠牲が伴う”彼女は、自分の17年間の苦難に重ね、夫にとっても、闘病生活は苦難であったけれども、それが栄光に満ちている、主を仰ぎ見て、わが身を蘇らせんという信仰を持った、つまり、死んでもなお自分は蘇っているということを信じて、生涯を終えられたということに感動したのです。
 彼女は、自分の人生を、何か人の役に立つことをしたいという生き方に変えました。
 あるとき、彼女は、ミサの説教で、「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」という、神父の言葉を聞いて、「自分は奉仕していた、と思っていた、だが、よく考えてみると、その奉仕は、自分が無理なく出来る範囲内のことだった。
 何も犠牲を払っていなかった。」と自分の行き方の根底が問われ、揺さぶられました。そして、行き着いたところが、"心を通わせる"ということと、"食べ物を作る業"、つまり、”食事は命の移し変え“、ということでした。
 自分の周囲で採れる野菜を料理するとき、大地にいるときは光を身に受け輝いていた野菜たちが、調理されて透き通ってくる、その瞬間が最もおいしいときだ、これは同時に、自分のために輝いていた野菜たちが他者のために生きるときでもある。さあ、この命であなたが生きなさいと野菜が言ってくれている。
 食事を作るものは、それを提供することなのだ。--雑誌、「あけぼの」、2003年5月号、27頁--河合隼雄さん「人の心を癒すものとして、佐藤さんのおむすびと漬物は最高だ」と、絶賛しました。
 (前掲書、25頁)佐藤さんは、「素朴なおむすびとお漬物、ゆったりとした部屋の提供。わたしは専門家ではありません、いくらでも聴きます、それしか出来ません。たっぷり自然の空気を吸いなさい。
 あなたに命をあげるよと言っている自然の食べ物、それを食べて生きなさい、そして、命を得なさい」と、言っています。
 佐藤さんは、人々が再生するという、このような奉仕の働きをしています。
 半年ほど前に、佐藤さんは、55歳の息子さんを失いました。悲しんで、落ち込みました。佐藤さんはこのように言いました。「残念だし、悲しいが、息子を生かすも、殺すも、私の生き方だと思う。そうしなければ、生きている甲斐がないと思うのです。」と。
 だから、自分より早死にした息子が本当に生きるか、どうかというのは、わたしの生き方なのだ、その息子の苦難が栄光に変えられる。それは、わたしの信仰、わたしの生き方によるのだ。
 また、このようにも言っています。「亡くなった人が、生前望んでいた生き方を手繰りながら生きることが、慰めにもつながるということなのだ。」--) 
 イエス・キリストの十字架(--単にわたしたちの罪の身代わり、という受け止め方が、多かったのですけれども、今日は、ルカによる福音書を通して、苦難が栄光につながるという、そのような意味では、苦難を逃げてはいけないし、あるいは、犠牲を伴わない奉仕は奉仕ではないという、そのような部分も、もう一度、しっかり受け止めなおしい、と思います。--)

「分類キーワード(愛)」


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