エッサイ株からひとつの芽が萌えいで(--ダビデ王家が断絶して絶望的な状況に陥るけれど、そこから、新しい希望の芽が萌え出てくる--破滅の危機から希望へ」と道が開かれる--互いに殺しあうことは、決してない本当の平和のときが到来する--) 受胎告知(--現実はそんなに美しいものではなかったのではないか、と想像されます--) 聖書の記事(--信仰による解釈の文学で、文字通りのことが起こっていた、と受け止める必要は無い--人から聞いたことをを伝えるのに、無意識にでも自分の解釈を加え、場合によっては、尾ひれをつけて伝えることがよくある--) 山口里子(--聖書学者--「処女降誕を読み直す」”女性の立場から聖書を読み直す”--マリヤの妊娠は「婚外妊娠」だったことは事実のようだ--一世紀のキリスト教批判の文書では、イエスが父親の分からない子として生まれた、とよく書かれていて、それに対してキリスト教の側から強烈な反駁の文書が出されていたようです--当時、普通は父親の息子、イエスであれば、「ヨセフの子」とは呼ばれていないことも、人々がイエスを蔑視していた様子が伺われる--少なくとも、マリアが正式に結婚していないで、子どもを生むということに困惑していた。同時に、婚約者のヨセフも困惑した。だから、ひそかに離縁しようとしていた。(マタイ一・一九)しかし、二人とも、聖霊によって、あるいは夢の中での天使のお告げによって、婚外妊娠を受け入れるに至った、と聖書が語っている、その伝承は、どのようにして生まれたのだろうか--この伝承は、イエスによって生き生きと生きるように生まれ変わらされた女性たちが伝えたのに違いないと考えられます。しかも彼女たちも大なり小なりに、マリアの困惑と似た経験をしながらイエスによって立ち直ることが出来た人たちだろう--「たとえ世間でさげすまれる婚外妊娠の子であっても、私たちが出会ったイエスはまさに『神の子キリスト』であり、母マリアは責められるべき汚れた女性ではなく苦境の中で聖霊によって包まれ導かれた方です、という彼女たちの信仰告白の表現として、最初の口頭伝承が生み出されて行ったのではないかと思われます。」--”クリスマスに矯風会慈愛寮で説教されました。慈愛寮は、出産前から出産後六ヶ月までの女性たちとその乳児たちを保護する施設です。普通の結婚生活を送ることの出来ない女性たちとその乳児たちです。そのときのキャンドル・サービスの参加者は、そのような女性たち約二十人、彼女たちを援助する役所関係の女性たち慈愛寮で働いている人たち、それに矯風会の役員たちで、合計約五十人でした--その説教で、マリアの婚外妊娠についてのご自分の考えを述べられた後、次のように結ばれたのです”--「恐らくそのような伝承を伝えた女性たちにとっても、マリアの妊娠と出産は他人事ではなかったのでしょう。その女性たちの中にも、ずいぶん辛い妊娠、出産、子育てを経験している女性たちがいたことでしょう。でも彼女たちは、神様が生きて働いておられることを確信していました。そして、さぞ辛かったであろうマリアを、せめて美しい愛の物語で包んであげたのです--それは、イエスと共に生きた女性たちから、イエスの母マリアへの感謝と愛の贈り物であったかも知れません。そしてこの物語はまた、数知れないマリアのような女性たちへ希望と勇気を呼びかける愛の贈り物であったかも知れません。そしてこの物語はどれほど多くの女性たちの涙を吸収して、語り継がれたことでしょう--そしてどれほど多くの女性たちが、絶望の涙を拭い、希望の笑顔を取り戻して生きたことでしょうか。恐らく二千年近くものあいだ失われていた女性たちの愛と信仰の物語に、私たちは今再び真摯に耳を傾け、思い巡らし、語り継いでいけたらと思います--今年のクリスマス。日本中にも、世界中にも、涙の内にクリスマスを迎える人がどれほど沢山いることでしょう。その一人一人に、かつて絶望の淵に立たされていたマリアに示されたと同じ大きな神様の愛が注がれることを祈りつつ、クリスマスを迎えたいと思います。」--「福音と世界」一二月号--)
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