2000/12/17 「救いの先駆者」 士師記 13:2〜14  (MP3)                    
主題(先駆者) 士師記(人間は同じ間違いを繰り返す。そのたびに神は助けられる サムソンの話もそのテーマにそっている 悲劇ではあるが最後は神が介入される) 先駆者の役割(選び取られた私たちを通して神の言葉が伝わっていく 自分のことは後にする 耳を傾けて聴こうとする役割が私たちに与えられている) 坪井節子(つぼい せつこ 弁護士 子どもの人権救済センターや日本弁護士連合会子どもの権利委員会等で子どもの人権救済活動に携わる。 「子どもは大人のパートナー」 --大人たちが自分たちの責任を全く感じていない--子供が見えない--どのように矯正すればよいかばかり考えている--少年法は改悪された--こどもたちから聞けば聞くほど悪い子は見つからなかった--零歳からパートナーとして聴いてゆく--子供と接見するようになって信仰が大事なことだと思った--接見の少女から先生のバカと言われた--審判の日少年院に行ってやり直すと言われた--少年院は育てなおすところ--) 経済最優先がそのようにさせた 

2000/12/24 「引き受けへの招き」 イザヤ 7:10〜14  (MP3)               
主題(告知) アハズ王への告知(みよおとめが身ごもって男の子を生む) 神様と人にもどかしい思いをさせている(常に自覚できていることが信仰を持っている) ルカによる福音書の特徴(女性が取り上げられている) マタイによる福音書の特徴(男性主義が色濃い) ヨセフへの告知(マリアのことを表ざたにせずひそかに離縁しようとしていた--正しい人であったので--) ヨセフにとってのマリア(聖霊によって身ごもったと聞かされてもとても納得できることではない 姦淫を嫌った当時の時代においては死刑に値した 婚約はなかったことにすればと自分の為、マリヤの為に考えた) 縁を切る(私の知ったことではない) 天使が”恐れずマリヤを向かい入れなさい”と語った(神様が働いてヨセフの決心が覆された ヨセフは引き受けようと決心した) マリアの決心は壮絶な決心だった 奥田知志牧師(東八幡キリスト教会 家を持っていない人だけがホームレス”帰る場所を持っていない人”ではない 中学生から暴力を受けた人と一緒に抗議に行った、しかし、反論されたその時このホームレスは”連中を責めないでくれ、家があっても帰るところがないのではないか帰る所のない気持ちはよくわかる”と言った --クリスマスの奇跡は処女降誕にあるのではなく、ヨセフとマリアがこの現実を引き受けたことにこそあると思う。無縁性に逃避することを賢明とする私たちにとって--ヨセフの卓越した良心がなしえた出来ごとだなどと理解することはできない--彼は縁切り寸前のところをさまよっていたのだ--子の奇跡の本質は神がこのたよりない若い夫婦に救い主を乳飲み子として託され、引き受けるように召されたことにある--縁切りから関係へと招き引き受けるようにと召すためだった--クリスマスは若い二人が応答したした出来事だ) 日本中ホームレスの人は満ち溢れているかもしれない(帰る所のないお父さん、主婦、高校生) クリスマスはこのような人たちを受け入れるという意味がある

2000/12/31 「世界の希望」 マタイ 2:1〜12  (MP3)               
三人の博士(占星術の学者) 最初のクリスマスを迎えた人たち(ルカは羊飼いたち マタイは博士たちと書いている) マタイの特徴(外国の博士”ゾロアスター教、異なる宗教の人がイエスを求めて旅をした”全世界全ての人に福音が延べ伝えられる) 二十世紀の終わり二十一世紀の初めにおいて誰もが希望を持ちたい 二十世紀(戦争の時代 超スピードで変化した時代 しかし人間は変わっていない 貧富の格差がひらく) 二十一世紀(本当の平和 隔ての壁 違いを強調しない 共通している部分に目を向ける)  宗教の多元主義(自己主張するのでなく、宗教が共通している部分で受け入れあってゆく、イエスは一つの宗教を開くことを目的としたのではない) 平和であるべき宗教が戦争のもとになる危険性がある(この宗教こそ正しいとの思い込みは危険) マザーテレサは宗教を押し付けなかった(人はすべて神の子です。宗教の違いは神様が色々な呼ばれ方をしている違いにちがいない 勢力拡大の伝道ではなくみんなで助け合い支えあっていきながら共感する人々が仲間になってゆく在り方が大事)  ファン・ディン・ソン神父(ストリートチルドレン ベトナムのマザーテレサと呼ばれる”ドン”さんに出会う 仕事はストリートチルドレンとゴミを拾いそれを売って生活している--神父が環境の良いところに移ったらと言ったらドンさんは--自分たちよりもっと貧しい人たちのために食べ物を運んだり体を拭いてあげたりしているので移れませんと言った--なぜそこまでするのですか--子供たちに生きる意味を教えたいのです--神父は日本に帰りベトナム料理店を始めドンさんを応援した) 一歩を踏み出す時に出会ってくる人たちをとおして希望が見えてくる 破れの中でイエス様に出会う


                                                                                                 ページのトップへ戻る