お話の聞き方説明
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2000/04/02「旧約の完成者」 マルコ 16:1〜8 (MP3)                      
大貫隆教授(東京大学 「奨励集」講演 教養のある人なら朝日新聞を取ると言った下手なセールスマンのおかげで朝日新聞を購読しなくなった 読売新聞投書欄の人生案内に”スラム団地うんざり、手放した高級住宅地忘れられず”が載った --高級分譲地にマイホームを持った--周囲も一流会社の常識ある人で気持ち良かった--夫の会社が倒産--中古団地に引っ越してきた--ここはスラム化した3DK--よれよれの服を着た主婦--無神経な夜のカラオケ--吐き気を催すほど嫌い--どうしたら昔の夢を捨て現在を重視できるでしょうか--読売新聞投書欄の人生案内に”気さくな周囲アパート生活”--年中友だちと外で遊ぶ娘は元気で逞しい--部屋に子どもたちが上がりいつも騒がしいけれども--気安さが何とも言えない--子供の泣き声--ママの怒鳴り声--いつも生きてる声が聞こえる--どんな条件のところに住もうとも自分から仲良く声をかければ人の心は優しく信じられると思う--鍵を開けて本音で生きよう--大貫先生の話”ここにイエスの延べ伝えた誰とでも友達となれる神の国が実現していると断言しても間違いない”) いやだと感じたら何もかも嫌になる 山上の変貌は後から書き足された記事らしい(天地がひっくり返るほどの驚きに合えば誇張が入るでしょう) この方に聴け(あるべき状態を想定する必要はない そのままでいいよ) 同じような状態の中に住んで”いやだいやだと拒絶して生きる生き方とここが第二の故郷だと”) 苦難をも喜ぶ余裕を持っている時に栄光が見えてくる

2000/04/09 「地に落ちて死ぬ」 マルコ 16:1〜8 (MP3)                    
一粒の麦 ヤムニヤ会議(信仰復興運動) このことさえなければもっとよくなるのに 自分の命を愛する者は(自分の幸福を必死に追及するものはそれが得られない) 亀井勝一郎(幸福とは微笑のようなものだ 幸福は求めるものではない 与えられるものだ) 藤木正三牧師(自分を引き受ける 憎みたいものも引き受ける) 白血病で亡くなられた婦人の詩(よんちゃんへ きょんちゃんへ)  

2000/04/16 「ロバのように」 マルコ 11:1〜11 (MP3)                     
人生は芸術だ(感動の表現) 人となられた神(十字架の死はいかに逆説的なパフォーマンスか) だれも乗ったことのない子ロバ”自分を神にささげる”を使ったイエス(”平和” ”柔和” 人を温かく迎えることのできる心の広さを示す) 教会ほど人を差別する所はない(相手に悔い改めを要求することはない 許しあいの場) 藤木正三牧師(--本当の意味で私たちは柔和なものとなり得ない--人の粗が気になる--自己吟味できる人でありたい-- 互いに罪を負いあいなさい 河辺貞吉(フリーメソジスト 晩年失明する わたしは愛が足りませんと祈っていた)

2000/04/23終わりのない生き方 マルコ 16:1〜8 (MP3)                  
ブリューネバルトのイエスの復活 荒井献先生 生前のイエスの生き方が私の中で生きている ガリラヤでイエスと出会う(現実の生活の場で復活されたイエスと出会う。これが復活である) 八木重吉 おんちちうえさま 

2000/04/30見ないで信じる マルコ 16:1〜8 (MP3) 
ヨハネによる福音書が書かれた理由 見ないで信じる 復活を信じるということは現象を信じるということではない 川中子義勝「散策の小道」愛撫する手より優しくあなたを打ち砕いてしまう 


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