お話の聞き方説明
ホームページ 案内 カレンダーに戻る

2000/01/02 「難民だったイエス」 マタイ 2:13〜15 (MP3)                   
マタイによる福音書(--マタイの教会はシリアにあったようです--異邦人による教会--この人たちを勇気づけ、正当化しようという意図で編集されている--ユダヤ教徒が神の子イエスを十字架につけたという思いを持ってしまったキリスト教徒たちはこれはけしからんということになってユダヤ人の迫害が生まれてしまった--マタイの意図を汲んで読む必要がある--イエスは民族を超えての救い主という観点が大切です--モーセの民族解放を背景にしたのではないか--歴史的事実かどうかの問題ではない--旧約の実現を強引とも思える気持ちで主張した--) 犬養美智子(「人間の大地」エクソドス”出発”--夫婦”ヨセフとマリア”はその中の最も近い道ガザストリートを通ったと思われる--国境を超えるまで急ぎに急いだ、追われるものの急ぎである--暑気の道を飲料水に事欠きながら何日もかけてとおって行ったに違いない--したがってイエスも難民である--時の政権の利害、政策などのため政治的理由で他国に逃げるを得なかった--20世紀は世界史最大の難民が生まれた年だ 難民を作り出すほど人間の大きな罪はない--インターナル”国際的である”とは人間が開かれていることだ--) 日本は難民受け入れをもっと考える必要がある ヨセフ(--おこる運命をじっとそのままに受け止める--主に従ってゆく--逃げなければならないときは逃げてもいい--) イエスにわかり得ない苦難はない「お前とともにいるよ」と言ってくださっていることを生きる根源として生きていく

2000/01/09 「低さからの出発」 マタイ 13:13〜17 (MP3)                    
荒井献「問いかけるイエス」福音書を読んだ時に自分に問いかけてくるイエスを聞き取らないと聖書を読んだことにならない 本田哲郎神父「小さくされたもの」洗礼という言葉は間違って訳された。本来はバプティスマ(沈める)という意味であり、罪を清めるという直接の意味はない 生きることの原点は低さから出発することである 加賀乙彦 信仰というのは向こうから来るのです。

2000/01/16 「神のイニシャティブ」 マルコ 1:14〜20 (MP3)                     
建前が立派であるほど生き方が違うことがある イエスとともに生きているところが神の国だ 本田哲郎神父「悔い改める(メタノイヤ)とは視点を変える」 すべてのことがつながっているから私たちは選ばれている 塩野和夫「どたぐつ」

2000/01/23 「召使たちは知っていた」 ヨハネ 2:1〜11 (MP3)                    
水がぶどう酒に 神の業とはショッキングな経験をすることのように思いがちだが、そうではなく毎日の日常的な働きを通してめぐみを知ることだ ボンフェッハー「信ずる者が従うのであり、従う者こそが信ずるのである」

2000/01/30 「捨てられた者の友」 マルコ 2:13〜17 (MP3)                   
イエスを偶像化する危険性について 私はこのパリサイ派の一人ではない イエスは人となられた方であって偶像としての神ではない 晴佐久神父「星言葉 まずその人を見ようとするまなざしがあった」 清水啓三牧師「手探り聖書入門 義人は自分の正しさを他人によって守ろうとする」 よいこと追求はよいことができない人を見下す クリスチャンとは正しいことをしようとする群れではなくイエスの生き方を習おうとする人である


                                                                                                 ページのトップへ戻る