1999/12/05 「神の言葉の権威」 イザヤ書 55:6〜11  (MP3)   
星野富広(「あなたの手のひら」”ススキ-出会い”--何を探しているのか--何を求め何を見たのか--結局変わらない者との出会いではないのか--) 第二イザヤ(神様は異教徒をも用いて救いを伝える 雨も雪もむなしくに天に帰ることはない)  犬養美智子(「聖書の旅」--”著者というのは権威を持っている”--宣教師から神様を愛しましょうと言われると分からなくなる--ただ拝む存在でなくそこには行き来がある--愛とは心から大事にすることだ--自分の中で経験を積み重ねて愛を感じる--日々の出来事に愛を感じる) 洗礼を受けないほうがらくだという思いもなくなる 聖書の著者(書いてる人の知識や能力が現れる 明らかな間違いも書く 間違いをこえて何が書かれているかを読む 書く元となったものは神からの精霊による) 八木重吉(--ここに私を救ってくださる確かな道があります--)

1999/12/12 「現実を直視せよ」 イザヤ書 40:1〜11  (MP3)   
インターナショナルニューライフカレッジ桜井淳司先生(--入学の資格、年齢制限、在籍年数制限なし--その気になった人はいつでも来れる--ありとあらゆることに取り組む--野坂昭如と羽仁五郎の対談集を読んでの引用--負けて、負けて、負けるということがあって初めて勝つ--負けることの弁解が多すぎる--負けることはよくないことという意識が強すぎる--負けるということをはっきり受け止めないで、負けたことを美化してみたりする--) 第二イザヤ(--絶望の時代--現代と同じように小手先だけで改善しようとしている--)  宮嶋真一郎(共働学舎--教育は待つことだとよく言われます。でも、それは結果を期待して待つことではありません。--先が見えることだけを待つのでは底が浅い--いつ与えられるのか、何を与えられるのかも分からない、しかし、必ず我々の知恵以上のものが祈りによって、あるいは祈りを超えて神より与えられる時があるに違いない--) 待つことのこんげんは”再び主がおいでになることを”待つ、最後の完成を待つ、神は悪いようになさらない ”主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。”(イザヤ書40章31節)

1999/12/19 「突発する告知」 イザヤ書 11:1〜9  (MP3)   
主題(告知) 冒頭に石川牧師と三浦綾子さんの対談録音音声があります(--お二人ともとてもお若い時の対談です--踏み出す一歩が道を作る--自分でやる力がないとは謙遜でなくて傲慢です--三浦さんの追悼番組でも放送された--ビデオは三浦記念館で分けてもらえます--現代に通用するメッセージです--) はいとお答えする姿で受け止めることが違ってきますは 神にできないことはない(--マリヤが精霊によって身籠るとは当時の常識では許されることではなかった--) 共存による平和(--イザやが受けた告知--) 力による平和は権力に反抗するものを常に抑えようとする動きがある 遠藤順子さん(「夫の宿題(遠藤周作)からのメッセージ”俺は大丈夫だぞー匿名の手紙”自信がない証拠”--瀬戸内 寂聴との対談--本当に素晴らしいやうゃけを見た--この時”御心のままにとしか祈れなかった”--無言のコミニュケーション--悔いのない看護はあり得ない--) 聖霊が必ず助けてくださいます 皆さんもマリヤになれます

1999/12/26 「分からないけれど゛」 イザヤ書 40:1〜11  (MP3)   
女子社員がこの言葉を使う会社は伸びない(--どうせやってもしかたない--あきらめ妥協しかない会社--) 最初のクリスマス(--アックスロマーナ--ヘロデ大王はローマにごまをすっていた--マサダの要塞--力による平和の陰には押しつぶされた人たちがいる”羊飼いたち”--) クリスマスのメッセージ(--クリスマスのメッセージを聞くのは我々キリスト教徒なのだと上っ面だけで単純に聞いてはいけない--このメッセージを聞いた人たちは東の学者たち”三人の博士、キリスト教を知らない人たちだった--どうせを振り切る人たちにとってメシヤが見えてくる--博士たちは”どうせ”という言葉は使わなかった--この時代は何かおかしいと感じていた--これがイエスの誕生を見つけ出した--三人の博士が喜んだのはイエスを見つけたことに希望の原点をつないだ--) 遠藤順子(遠藤周作の妻 --最後の時--家に帰るとき夕陽を見て”夫の命はあそこにいるのだ”ということを感じた--神様にお任せしようと思った--) 黄金、乳香、没薬(--博士たちの商売道具であったろうといわれている--それをささげたということは献身を表している--礼拝の姿を現している--)  マタイによる福音書(--ユダヤ教の人たちを批判するために福音書を書いた、しかし、後世それがユダヤの人たちを攻撃するものとなってしまった悲しい事実がある。マタイはイエスを全世界に伝えなさいとかたっているが--)


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