1998/01/01 「新しい天地を見る」 黙示録 21:1〜7  (MP3)                   
明けましておめでとう(昨年までの穢れが無くなって新しい年になった挨拶 穢れを清める日本の習慣) 黙示録(オラトリオ形式のページェントをイメージする 論理的に読むと誤解する) 終末(聖書の結論に当たる”神が人と共に住む”完成の時 恐ろしさが表には出ない) カイノス(神により日々新しくされる あなたたちを不安にさせるものが無くなる 涙もなくなる) 救いは頂き物だ(神が寄ってきてくださる) モルトマン(--かくあらねばならないとは本来の自分であってはならないという圧迫感を持っています”自分を受け入れていない”これではキリスト者の生活はびくびくしたものになります--信仰者の生活は芸術だ--日々に感動のある生き方を持つことができるかが大事--感動のある生き方が一つの芸術である--) 神に捉えられていれば今年が悪い年になるはずがないということを信じましょう

1998/01/04 「神の霊に導かれる」 ルカ 2:41〜52  (MP3)                   
主題(イエスのエルサレム訪問) 12歳のイエス(少年イエスの記事はここだけ 成人としての歩みのはじめとなる 父の家にいる”復活した神の子なのだということを表している--このことを無理に解釈する必要はない”) ルカによる福音書(文学的な素養があった 旧約の律法を大事にしていた 使徒を立派な人として書いている) 聖霊に導かれていなければ教会には来ていない 旧約の中の人物もロクデナシの人物がたくさんいるが神様はじっと見つめていらっしゃることが感じられる 鈴木 正久牧師(すずき まさひさ --私のようなものを天国に入れなければ神様の沽券に係わる--) モルトマン(「新しいライフスタイル」--新たに生まれた者の新しい生活は包括的”全部が受け入れられる”な希望によって規定され、自分だけが救われることを願い世界の残りの人を地獄に行かせる排他的な希望によって規定されるのではありません--) 新しく生かされたものの生き方(--建前に縛られると自分を否定するようになる”いつまでたっても欲求不満、人の”あら”捜しが始まる”--不安と穢れの中から新しく生かされる”今の私が受け入れられているのです”--) 石川牧師が洗礼した信者が亡くなりました(約四十年前 記憶になかった人 遺族が遺品整理をしたら週報がでてきたので連絡があった あちらが私を用いて下さったことがわかり感謝だった) 一人娘の登校拒否(面接の練習を始めた 尊敬する人はの設問の回答に”生きている母”と答えた お母さんは落ちこぼれ母だと思っていた”でも、娘はそう見ていなかった”)

1998/01/18 「摂理的出会い」 ヨハネ 1:35〜51  (MP3)                   
主題(最初の弟子たち) ヒュープ・オーステルハイツ神父(オランダ「神の言葉は近い」 --主なる神よ今日あなたがこの世に命の息吹を与え人間の中に愛のかがり火を焚きつける日です。今日はあなたの教会になるために私たちが集められる日です。あなた自身が私たちの心の中にまいた言葉を持って感謝します。聖霊の力によってあなたを賛美します。私たちは喜びでいっぱいです。あなたを私たちの父とお呼びします。) プロテスタント(個人的な面が強くなる 礼拝が教会になりずらい 聖書は教えの書ではない) ヨハネによる福音書の特徴(見つめる 見て ご覧になると”全てを見抜いて” 私たちは見つめられて弟子となっている”目的を持って見つめられている” 泊まって”留まる、関係を意味する”) 歴史”背後にあるもの”を読むのには想像力が必要です 愛は想像力です 小山晃佑(水牛の神学  努力式人間から関係式の人間へ --キリストに捉われればとらわれるほど自由になる--) 排除の論理(私はここにいていいのかな) イエスに躓く(私たちの出発点) 石川和夫牧師の人生(完全な人間を通して導かれるわけではない 牧師になるつもりはなかった ダメ伝道師が私を牧師にした ダメな私も用いられている 神様は全部用いて下さる)


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