1997/09/07
「神に仕える権威」 ローマ 13:1〜7
(MP3)
デーブスペクター(「言葉抄」”日本人の人権感覚と外国人の発想”--日本は自分と直接関係ない運動に関わる習性があまりない--日本は自分の人権が侵害されている人ですら諦めてしまう--) さわらぬ神に祟りなし 精神的な問題をしっかり振り返ってこなかった 植村正久牧師(--愛国心--日本の進み方を神様の目で批判することもこの国を愛することではないか--) 日本基督教団(第二次世界大戦において日本基督教団号という戦闘機を献上した) 神によって建てられた権威”権威に従うとは”(--ある教会は--天皇を奉戴した--どうしてこのような問題が起こったのかの検討”聖書のどこを読み違えたか”が戦後五十年以上たってようやく行われるようになった 権威者は神に仕えるものでなければならない”弱者に仕えるものでなければならない” パウロは体制を暴力で覆すテロリストをいさめる目的で書いた 権威を監視する役割がキリスト者に託されているのである”見過ごしている私たちは神に許しを願う必要がある”--お前を何のために選んだのかという神様の目を意識する必要がある”サマリヤ人とのたとえの祭司たちと同じことをしている”) 聖書は教科書ではない(聖書は歴史書です 歴史の背後にいる神を読み取る) 長野県で起こった少年の暴力事件、担当の教師”クリスチャン”の話(--授業中暴力を振るわれた--クラスの生徒をたたき出した--止めた先生は半殺しの目にあった--彼の暴力に対して生徒に逃げろという言い方をした--今から振り返ると”皆でこれを止めなさい、われわれ全部の問題だぞ”とどうして言えなかったのかと悔いた--) 憐れむ(語源は”はらわたがちぎれる”)