1997/06/01 「尊い、生きた石」 ペトロ1 2:1〜10  (MP3)                    
主題(神の民 永遠の喜びにつながる) 説教の準備を忘れた夢を見た 森有生先生(--自由を失わなければ本当に生きがいのある生涯を送ることが出来ない--好きなことができるという人生は存在しません--) 晴佐久昌英神父(はれさく・まさひで --安易に一言で神と呼んでしまうのではその素晴らしさを皆と分かち合えないような気がする--神という言葉を使わない--身に着けているものを次々と脱いで温泉に”ドボン”何とも開放的な至福の一瞬だ--誰とでも生まれたままの姿で語り合えたら気楽だろう--心にもいろいろ着込んでいる--相当変なものを着こんでいる--実物以上に見せようと虚飾をかぶり--無関心を羽織っている--人生を着ることだと思い込んでいる--なんて重い人生--生きるとは脱ぐことだ--「生まれる」--無から沸き起こるものではない--生み出す源を前提としている--生まれてくるということは望まれたということ--自分の誕生に自分は一切責任ない、気が付いたら生まれていたのだから--意味を与えるのは生み出す側である--)

1997/06/08 「イエス様の仲間」 ローマ 6:1〜11  (MP3)                    
子どもたちと一緒の合同礼拝 片山 日出雄 海軍大尉(「アンボンで何が裁かれたか」 オーストラリアの捕虜を殺したことで軍事裁判になった 上層部”上級将校”の報告がねつ造されていた このほかにも悪いことをしていなかった人が何人もいたのに銃殺刑となった  無実の人を弁護して何人かの人を救うことが出来た 収容所の中に”光教会を作った” 無実を主張したが受け入れられなかった片山さんは罪を引き受けて銃殺刑となった 日本がおこした戦争の責任を引き受けた 銃殺の銃を発砲した兵はその晩みんな熱を出しました)

1997/06/15 「神の相続人」 ガラテヤ 3:26〜4:7  (MP3)                    
主題(神の子の自由) ルター(”キリスト者の自由”何者にも支配されないでなく、喜んで人に仕える奴隷となる自由も許されている) 何物をも得る自由と捨てる自由がある(神様が神様であることを捨てることが出来る自由) ガラテアの手紙(パウロが憤りを持って書いている手紙) 律法主義(自分たちの努力で神様に近づいていくこと オウム真理教のステージを上げるのと同じこと 幼児の時の養育係 大人になってまで縛るのはおかしい) アッパ(おとうちゃん 親しみを込めて呼べる関係になる) 救いは関係において 神に対してハイここにいますといえる関係 赤ちゃんはそこにいるだけでかわいい(わたしかわいいでしょうなんて言わない)

1997/06/22 「一番大事なこと」 エフェソ 5:1〜14  (MP3)                   
主題(光の子として歩みなさい) あなたクリスチャンと言われたら身の縮む思いをしていた。だから、クリスチャンと言われないように隠しながら生きてきた(のびのび講座に出席するようになって私はクリスチャンよと言えるようになりました。掟に縛られることから解放されました) ジャンバニエ(ラルシュ”箱舟”共同体「ちいさきものからの光」 健常者の問題点”共に生きるのが非常に難しい人” 障碍を持っている人も私には光なのだ 以下:ケリム君の話--重度の障碍者--何か問題を感じると、自傷行為行為”自分の頭をたたく”を始める 十に年たって少しずつ動物のエサやりなどで働けるようになった--人間関係の摩擦を感じ取る能力があることが分かった--スタッフ同士に人間関係の隔たりがあると自分の頭をたたき始める--このサインによってスタッフ同士が和解する--スタッフ同士の摩擦の関係のセンサーとなった--。最重度アマンド君の話--誰かの腕に抱かれると”大好きだよと囁く”--抱いた人はうれしくなる--重要な位置にある司祭が訪ねてきてアマンド君を抱いて癒されて帰っていくようになった--) 光の子として見れないわたしたちを反省したい(見落としていたものを見出す)

1997/06/29 「いつも三角関係」 コロサイ 3:12〜17  (MP3)                   
言葉を取り次ぐ者の責任(キリストに代わり語っている) 条件付きの救いには限界があり時には傲慢になる ニコデモ(今更迷っているとは言えない立場にいた 新しく生まれる 風は思いのままに吹く霊から生まれたものはそのように生きる”気分のままに生きてもよい” イエスに会った彼は十字架の後のイエス埋葬に助力した) フランス人神父の祈り(「金網の柵」 --自分の作る穴の周りで手をつないでいる、穴が破れないようにとなりの手首を固く握っている。不思議なことだ穴で柵が作れるなんて。主よ私の人生に無数の穴があるように隣人たちの人生にも穴があるでしょう、しかしあなたが望みたもうなら隣人と私は手をつなぐことができます。しっかりと手をつなぎ柵を作るでしょう。天国にふさわしい柵を) 金網は最低四か所でつながっている(4人と手をつなごう それだけでいい イエスの体の一部となっている)


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