1997/02/02
「駄目で結構」 マルコ 2:13〜17
(MP3)
主題(罪人の友) 団地生活(北のベランダに缶ビールの箱を置いた、盗られたらと思って悩んだ、大したことではないのにこだわってしまう) レビ(収税所 ピンハネは常識だった ローマのために税金を集めるので嫌われていた イエスに招かれたので食事の席を共にした) ファリサイ(分離するもの 一概に善玉悪玉と分けることはない 普通の生活をしてどちらかと言えば善良な市民として暮らしていた) 罪人を招くため(罪人のほうがいいのだとストレートに受け止めないほうがいい イエス様は悪人たちがお好きなのだではない 逆説でとらえる) 義人(正しいということを追求するあまりその限界を知らず、貧しさゆえにパリサイ人が言っている正しい生活を守れない人を差別する) 聖餐(食事を共にされた パウロが書いている聖餐の意味は聖書の記録としては一番古い 私の記念”過去に起こったことが今ここにあるという意味を持つギリシャ語”として行いなさい イエスキリストの体をいただくとはイエスと一体になることです 資格はいらない) 杯(血 契約の確認である 自分が聖餐にふさわしいかは関係しない”パウロがコリント書で言っているのはコリントの人が貧しい人たちを差別し聖餐の時間に集まることが出来ない人たちを配慮せず、無視したことを言っている” ) ある神学者の言葉(--教会の枝として機能するとき--その時にキリスト者となる--) ルドルフボーレン(--主は弱きものとの交わりにおいて忍耐強いものである方であることを知っていただきたい--あなた自身の努力に目を留めないでください--キリストが努力していることに目を留めて下さい--