お話の聞き方説明
ホームページ 案内 カレンダーに戻る

1996/11/03 「死の恐れの原因」 創世記 3:1〜15  (MP3)                  
原義雄先生(浜松の聖隷病院 ホスピス 現代文明は死を否定している。死ぬべき人間が死なないことをめざした文明である。死から目をそむけ避けてとおろうとしている。誰もこれを話題にしない。殊に病院内では死という言葉はタブー 死について深く考えることなく死んでゆく)死を忌嫌う(死は穢れたものという気持ちがある) キリスト教では死は忌まわしいものとは思わず、新しい命への出発点となります(死は罰ではない 死は嫌なことではありますが信仰を持ったから死は恐ろしくなくなるというものでもありません 死が恐ろしくなくなる信仰は恐ろしい”自爆”を誘う) アダムとイブの話は神話です(神話だから意味がないということではありません 蛇に騙されたから食べたのではありません”物語のストーリーとして書かれた”もともと人間は知識の実を食べるものだったのです 食べた後の物語の展開が重要です 神の顔を避けるようになりました 人間の善悪の判断には限度がある 正義の判断のゆえに人を殺しもします ) 死ぬときは一人ではありません(イエス様がついています) 中嶋正昭牧師(死にざまがうらやましかった 自分の葬儀の段取りをすべてなさった)

1996/11/17 「祝福の源となれ」 創世記 12:1〜9  (MP3)                  
困難な教会堂建築(原点に返る 不便だから作るではダメ 祝福の元となる 大きな教会になることでもない)  聖書は信仰文学的表現  アブラハムの信仰(新しい出発に年齢制限はない 礼拝が原点 一時、約束の地からどんどん遠くに移動させられた 柔和な性格であった 自分にではなく隣人に目を向ける) 森 有正(もり ありまさ 日本の哲学者 「アブラハムの生涯」 --生涯の間いつも内側から動かすものを感じ、それを信じとおした--自分の羅針盤に頼りぬいた--不可知が全面的に広がっている大きな海の中航海してゆく--進路を誤っているかもしれない--羅針盤に頼るほか何もできない--頼り続ける、信じ続けるということです--働きながら待つ--)

1996/11/24 「とことん味方する神」 出エジプト記 3:1〜15  (MP3)               
主題(贖いの契約モーセ) 下って来てくださる神(鎮座ましましている神ではない 我々のところに来て味方して下さる 人格的な神様 近くにいる神様) 犬養道子(謙虚”限界を知っている”) 神は私は何ものでしょうという人に答える  コリン牧師(ニューヨークリバーサイド教会 神の愛は価値を求めるのでなく作り出すのです--私たちは価値があるから愛されているのではなく愛されているから価値があるのです--) 私たち自身で愛される価値があるものとなろうとする必要はない


                                                                                                 ページのトップへ戻る