お話の聞き方説明
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1996/08/04 「人は間違う」 ヨハネ1 1:5〜10  (MP3)                  
主題(平和聖日 罪を犯したことがないという人は偽りものです) O157(こんな人とは付き合っちゃいけませんという風評被害 人に迷惑をかけないという価値観から来る”一見もっともらしい” 人に迷惑かけることは”悪”となります、これは大変な差別感を生み出します、病気を持った人、障碍を持った人、お年寄り、つまり否応なしに迷惑を掛けざるわえないよような状況になっている人達にたいして差別感を持つようになります ) 差別感(上から見下ろす、可哀そうーね、気の毒にねー) 弱い人と共に(教会の歴史を振り返ってみる必要があります) 人間だけが戦争します(善悪の判断から善のほうだけ選び取るくせがあります) グノーシス(知識 霊が善で肉は悪と判断します 禁欲主義を伴います 光と闇 キリスト教が唯一正しい宗教であると思い込みます”傲慢な考え方です”人が陥る危ない考え方です) 罪(道徳的にとらえたこれが間違いです) 笠原 芳光(かさはら よしみつ 宗教学者 --独善を押し付けることはなおいけない--宗教の名によって人殺しということが正当化されることはとんでもないことだ--宗教と道徳の違い--道徳は安全な思想、宗教は危険な思想です--悪人でも救う) 道徳的な悪人もいます(道徳=宗教) 人は間違ってはいけないという考え方”自分の間違いに気が付かなくなります、間違った時には取り繕います”と、人は間違えるものだという考え方は根本的に違います 永井博士(高校生が読後感想を書きました--「ありがたい説教」--いとしごよ--期待を込めて読み始めた--裏切られたような気がしました--うちのおやじと同じようではないか--小言と説教ばかり--気になる言葉に出会った”私は今生きている”--この子たちを孤児にはしたくない、一日でも長く生きていたい--親の配慮を知った--もう一度読み返した、すごく暖かなものが伝わってきた--)

1996/08/11 「自己満足との戦い」 ローマ 14:13〜15:30  (MP3)                
主題(奉仕する共同体) いいことをしてあげることはいい気持ちのものです(点字の「子ども讃美歌二編」がなかなか届かないためテープで讃美歌をダビングを始めた、次の週聞かせてあげようと思った目の不自由な子供が休んだのでがっかりした) 本当に仕えることとはなんだろう ローマの教会(パウロの時代保守派と革新派がいた 互いが互いをせり出す 自由な人は自由でない人の弱さを担いなさい 自分の満足を求めない) 愛は考えない(してあげるという気持ちは結果を相手の責任にする、自分を被害者に仕立てる) お年寄りのクリスチャンが教会への奉仕活動が出来ないといじけていた) マルタとマリア(マリヤはよいほうを選んだ その話に聞き入っていた 聞くほうが大事であるとは言っていない 大事なことは一つ”今ここに自分がいる”ということで将来のことではない この場合イエス様は話したかったのではないかその気持ちをマリヤは知って、聞き入っていたのではないか この場面ではマリアはよいほうを選んでいた マルタを否定している話ではない 人はいつでも状況の中で変わっていく) 話し上手は聞き上手(伝わる言葉はまず聞こうという姿勢から始まる) 齢行けば我儘するのが子への孝行

1996/08/18 「嬉しさがこぼれる」 テサロニケ2 2:13〜17  (MP3)                
主題(証しする共同体 口で説得することではない 何もしないのに自然に語”香って”っている) 神様は私たちを励ますのに倦み疲れることはない サマリアの女(救われるべきものの初穂となった 軽蔑されていたのだろう 飲ませてください”男であるのに女に頼みごとをした” 自由になった女は村人の信頼を得た) 重兼芳子(友達とトラブルになり意地悪な子と言われた --自分が登校拒否になった--本心を隠して自己保身のみにきゅうきゅうとする人間環境はけっして私を幸福にはしなかった--自分の舌を御するなんて至難の業だ--この舌は私なのだ--私自体が変わらないのによい言葉なんて出るはずがない--と気付いた--いやな舌を抱えた私自身を神に託すほうへ行く先が変わった--人との関係が良いほうに変わった--こちらが安心していれば人も安心してくれる--) 私は今の自分をどのように見ているのか(心が開かれているか)


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