1996/05/12
「人と比較しない」 ルカ 18:9〜17
(MP3)
父の御許に行く 母の日(いつもお母さんありがとうという子供たちが減っている) 成功の証がキリスト教だったらほかの宗教でもいっぱいある 正さ追及の行方(いつしか自分中心になる、パリサイ派の人たちは自分たちがうぬぼれているという意識はないむしろ謙虚のように見える 自分はいつも正しい道を歩んでいると思っている これではいけないこれではいけないと思い込んでいる) ユダヤ教ラビ、ハッカーナの祈り(私を劇場や競技場に連なるものとなさならなかったことを感謝します--私は楽園を得るのに努力しますが彼らは腹の泉”死ぬ”のために努力します) 信仰を持つということは正しさ追求ではない(トランプで遊ぶことはよくないことで教会に行くことが善いことと思ってしまう、自分に間違いはないと思ってしまう、間違いを指摘されると逆上する) 神様を信じているということは常に一歩引いてみていることができることです(口では神様と言いながら神様を無視していることに対比されます) 子供(愚かもの、馬鹿者、共同体にいてはならないもの、死海写本に書いてあった) 乳飲み子は無条件で人にゆだねている 神父さんの祈り(--日常生活を清く正しく整えることを確信していた--だけれどもこのパリサイ派の人と同じだと気付かされた--) 数学が出来ない(先生にそういわれた母はこの子は数字で遊んでいると信じていた、その子は数学者になった、失敗した分賢くなると母に言われた) おじいちゃん子おばあちゃん子は幸せだ 松原泰道(--人間の世界に絶対とか断じてとか言い切れるものがあるのだろうか--エゴイズムに過ぎない--)