お話の聞き方説明
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1996/05/05 「徒労が徒労でない」 ヨハネ 12:34〜36a  (MP3)                 
まことの光(光の子供) 宮崎 駿(子供が生き生きしていない国は亡びる) ムツゴロウ(動物王国創立記念日”子どもが何してもいい日” 子供が生き生きしている ) 大人が子供になる 善悪の判断が人を差別するようになる”幼子のようになる” 霊肉二元論(霊が善くて肉は悪い、キリスト教もこれから脱却しなかった) 光と闇(よく見えている時が光、見えない時が闇、闇が悪ではない) 今の日本は子どもたちを生き生きさせないようにしている(人間味が失われていく) C・S・ルイス(C. S. Lewis)、本名クライブ・ステープルス・ルイス(Clive Staples Lewis(一日一章 神は私たちに何かを与えようとしていらっしゃるがそれがおできにならない、私たちの手の内がいっぱいでその何かを入れる余地がないからだ --神様はパラシュートだ--それを使わないように願っている--”落ちないように願っている”) 暗闇の時こそ光が見える 粕谷甲一神父(神様私はそれでも生きています、それは希望に支えられているからではありません--死んでも死にきれないからです--私は生きたいのです--その生き生きとした命は愛だとおっしゃるのですね--ではその愛をください--その愛をいただくために何を捧げろとおっしゃるのですか--もうお捧げするものはありません--お前の徒労の杯を捧げなさい--) つまらないと思っているものもこれだけしかありませんと差し出しなさい(徒労が徒労でなくなる) 闇も徒労もそのままお捧げしたい

1996/05/12 「人と比較しない」 ルカ 18:9〜17  (MP3)                   
父の御許に行く 母の日(いつもお母さんありがとうという子供たちが減っている) 成功の証がキリスト教だったらほかの宗教でもいっぱいある 正さ追及の行方(いつしか自分中心になる、パリサイ派の人たちは自分たちがうぬぼれているという意識はないむしろ謙虚のように見える 自分はいつも正しい道を歩んでいると思っている これではいけないこれではいけないと思い込んでいる) ユダヤ教ラビ、ハッカーナの祈り(私を劇場や競技場に連なるものとなさならなかったことを感謝します--私は楽園を得るのに努力しますが彼らは腹の泉”死ぬ”のために努力します) 信仰を持つということは正しさ追求ではない(トランプで遊ぶことはよくないことで教会に行くことが善いことと思ってしまう、自分に間違いはないと思ってしまう、間違いを指摘されると逆上する) 神様を信じているということは常に一歩引いてみていることができることです(口では神様と言いながら神様を無視していることに対比されます) 子供(愚かもの、馬鹿者、共同体にいてはならないもの、死海写本に書いてあった) 乳飲み子は無条件で人にゆだねている 神父さんの祈り(--日常生活を清く正しく整えることを確信していた--だけれどもこのパリサイ派の人と同じだと気付かされた--) 数学が出来ない(先生にそういわれた母はこの子は数字で遊んでいると信じていた、その子は数学者になった、失敗した分賢くなると母に言われた) おじいちゃん子おばあちゃん子は幸せだ 松原泰道(--人間の世界に絶対とか断じてとか言い切れるものがあるのだろうか--エゴイズムに過ぎない--)

1996/05/19 「愛は滅びない」 マタイ 28:16〜20  (MP3)                   
キリストの昇天(讃美歌159番 2節 死に打ち勝った力強いイエスはイエス偶像教になる恐れがある、強いイエスによって何でもできるのだ、できないのは信仰が弱いからだになってします 神話的表現は文学表現であり、その意味は別にあることを読み取る必要がある 私たちの現実には起こらない話とすり替えられてしまう 聖書を偶像化する) 今の私たちとイエスの時代の人たちとは同じである ボンヘッファー(キリスト者とは他者の存在となることである 共にいるイエス 愛は他者のための存在である --よき力あるものに我囲まれ--処刑される前に婚約者にあてて書かれた詩 --人に見捨てられていると感じたことはありません--目には見えないがよき力あるものによって朝に夕に守られている--自ら破れてしまったと戦いを投げ出すもののみが敗れるのです-- ) 田原総一(運を開くものは、鈍、根だ) よき力あるものに囲まれている人にとっては何があってもいい、うまくいってもいかなくてもいい

1996/05/26 「過去からの解放」 使徒言行録 1:1〜11  (MP3)                  
強さではなく弱さを誇ろう 釜ヶ崎(かまがさき) 過去を切り取ることはできません(過去にこだわることからは解放されます 過去をあるがままに受け入れることはできます 過去の栄光で自分を飾らず今を生きる) 異言(異言は語れなくてもいい) 聖霊(遠くにおられるものではない 聖霊は気付かせてくれる神ご自身 私たちの無意識の部分に働いて神を気付かせて下さる 気付くとは同じ状態の中にいても世界が広がります 特殊な状態になることではない) 強さへのあこがれは弱いものを見下す 椎名 麟三(しいな りんぞう 「運河」 高戸(高堂)要”日本キリスト教団出版局椎名 麟三の研究者”の話 --人を裏切る主人公の悲惨な状況を欠いている、でも作者は罪を犯しても許されるのだよと言っている --罪人は罪びとのままでいいのだ--それでいいのだと作者のほほ笑みの肉声を聞く思いがする--キリスト者は人間の本当の罪がなんであるかを知っている、しかし、そのことを本当に知るということはキリスト者にとっては同時に人間に本当の罪なんかないのだということを知る事でもある) 曽野綾子(不眠症の苦しみがよくわかります私も睡眠薬中毒になりかけた 不眠症になるのはいい意味の自尊心と責任感の時だ--これを治すには負け犬になることだ、つまり無責任で自分の文学なんてこの世にあっても無くてもいいんだと思うとき楽になる--いかなる重要な人がいなくても--この世は一向に困りはしない--)


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