1996/03/17
「イエスは誰か」 マルコ 9:2〜8
(MP3)
神の国の王変貌 荒井献先生(恵泉女学園大学 「”ひろさちや”が聞く新約聖書」 対談集 マルコが語りたかったことは”神の子キリストとは”ガリラヤの輝かしいイエスではなく孤独と絶望の中で十字架上に死んだイエスなんだ---絶望の淵にいる私たちの中にいつも一緒にいて下さる---) 書かれたことをそのまま信じることの問題(書かれた初版本がない、人”今の私たちと変わらない姿の人”が書き写したコピーのコピーが残っている、そのこと自体にすでに限界がある、これが絶対ですよというものがない、ということは誤りがある、でもその著者たちが伝えたい精神を受け止める、聖書の奇跡がそのまま起こったとすると私たちの現実の生活と聖書が分離してしまう、今は起こらないのと割り切ってしまう) 聖書の時代に期待されたメシヤ像は文武両道のものとされた形跡がある(イエスはこのイメージには合わなかった、期待外れだった)死なれる神(マルコの主張ご利益宗教の神ではない) 聖書を文字通りに信ずることの問題 遠藤周作(「私のイエス」イエスは永遠の同伴者 肺がん末期の同室者との体験(看護師さんがそっと手を握っていた) 白血病の患者を見た(奥さんがただ手を握っていた、---人間の死に対して夫婦というのは最後には手を取り合って二人を引き裂く死にあらがおうとするのだな) 看護師さんが手を握ってくれたので自分の痛みもとれてきた 痛みは孤独感で増幅される(一緒にいるよと言って下さる方がいれば痛みは半分になる、それがイエス様である) 本当の奇跡とは心の奇跡です