1996/02/18
「守る人の冷たさ」 マルコ 3:1〜6
(MP3)
癒すキリスト 必死になって繁栄を追求したツケが回ってきた 井上神父(「新約聖書のイエス像」イエスが一番大切にしていた姿勢を見失ったとき、まじめで一生懸命な人ほどパリサイ的になる危険を持っている---第三者の悲しみょ踏みにじるようなことが出来ないことが当然である---アガペー”悲しみの愛”---相手の思いを素直に自分の心に写し取る姿勢であるとイエスは言っているのだと思う---明治のクリスチャンイメージ”個人倫理に生きた”はイエスの姿勢とはほどとおい反省する必要がある) クリスチャンの形容詞”敬虔な”個人倫理に生きている(建前が立派である) 私たちはクリスチャンはいつのまにかパリサイ派の側になっているのでは 松原泰道先生(不立文字をを象徴したのが観音”音を観る”様です) 御言葉に生きる教会(文字”御言葉”そのものにとらわれているとパリサイ派の人たちが陥った状況と同じになる可能性がある 不立文字”イエスの呻き見る”の心が大事になる) 守りの姿勢は人の呻きにたいして鈍感になる