お話の聞き方説明
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1996/02/04 「まず、信じる」 ヨハネ 4:46〜54  (MP3)                     
生きた神の言葉(私たちの聞き方が問われ、聞こうとする姿勢が神の言葉を私の中に生かすものになる 体で聴く 聞く相手を信じる 心を聴く姿勢) イーデスハンソン(宣教師の娘 自分たちの宗教を広めることが何よりの人助けだと考えて、悩む人の気持ちも考えずに乱暴な人類愛と自分の道徳観念で指導するものだからかえって罪の意識を強めて、問題をさらに深刻化する事が多かった宣教師の中で宣教師らしくない宣教師に出会った)  しるしだけによりかかる信仰は神様を道具”偶像”あつかいにする 山田先生(口下手なことを気にしている人は多いが、聞きべたを苦にしている人は少ない 5ドル献金”自分の貯金箱を壊して得た”の女の子が宣教師さんのためにこれで車を買ってほしいと差し出した、その5ドルで本当に車が買えた この子は苦労している宣教師の姿を体で見た、体で聴いたときに奇跡は始まる)

1996/02/11 「目的と手段の混同」 ヨハネ 7:14〜24  (MP3)                   
教えるキリスト 大平 健さん(聖路加国際病院精神科部長『やさしさの精神病理』 患者とのやり取りの記録 若い人の価値観はやさしさ”温かい”、自分を傷つけないし、人も傷つけないと配慮しているつもり、寝たふりしよう、それなりに葛藤している 沈黙の優しさ) 傷つかない(自分探しの旅、ステップアップすれば上に上がれる”オーム真理教と構造は同じ” とりあえずが目的となってしまう) 律法を守っているのが安全か 永六輔 「二度目の大往生」(中村八大が連れてきた坂本九の思い出、上を向いて歩こう 九は邦楽の世界で育った、だからその感覚で歌った そんな歌い方はないよと叱ったが私はうわべだけを見ていた) 信仰はゆとりです、自分を知っていると同じいい方でもユーモア”自分が自分を笑うゆとり”になって伝わります、それは誰も傷つけません 人は弱さにおいて共感します 自分を知ることは中途半端に耐えられます

1996/02/18 「守る人の冷たさ」 マルコ 3:1〜6  (MP3)                   
癒すキリスト 必死になって繁栄を追求したツケが回ってきた 井上神父(「新約聖書のイエス像」イエスが一番大切にしていた姿勢を見失ったとき、まじめで一生懸命な人ほどパリサイ的になる危険を持っている---第三者の悲しみょ踏みにじるようなことが出来ないことが当然である---アガペー”悲しみの愛”---相手の思いを素直に自分の心に写し取る姿勢であるとイエスは言っているのだと思う---明治のクリスチャンイメージ”個人倫理に生きた”はイエスの姿勢とはほどとおい反省する必要がある) クリスチャンの形容詞”敬虔な”個人倫理に生きている(建前が立派である) 私たちはクリスチャンはいつのまにかパリサイ派の側になっているのでは 松原泰道先生(不立文字をを象徴したのが観音”音を観る”様です) 御言葉に生きる教会(文字”御言葉”そのものにとらわれているとパリサイ派の人たちが陥った状況と同じになる可能性がある 不立文字”イエスの呻き見る”の心が大事になる) 守りの姿勢は人の呻きにたいして鈍感になる


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