1996/01/21
「イエスの眼にとまる」 マタイ 4:18〜22
(MP3)
最初の弟子たち(彼らは漁師であった 仕事の途中であった イエスは彼らに言われた---人間をとる漁師にしてあげよう) すぐに従った(宗教的飛躍である、イエスの問いに対してどう答えるのか) イエスはご覧になった(私に一目ぼれした 理由は分からない) 石川牧師洗礼の決心(選挙運動に参加した 教会に連れて行ってもらった バックボーンにはキリスト教が必要だと思った 政治家になろうと思った 映画研究会で出会った牧師の教会に行った 教会員の手続きをしなければと思った 洗礼の意味を知らずに教会員になるために洗礼を受けた 一週間後に洗礼を受けた”少しはおっちょこちょいかと思った” 今から振り返ればいい加減だったが確かに聖霊に導かれていた”イエス様がご覧になっていた”) 自分について過剰に責任を負うのは傲慢です 神様の救いにあずかる人は”ちゃらんぽらん”に見える人が多い 大江健三郎(光さん、どうしても無視出来ない問いかけの声が子どもから自分に向けられて発せられている瞬間がありました あの子供がベッドの中から自分を動かした、それが二十年間わからなかった バベリオン「失望した男の子の日記」を読んだときにわかった あなたは光さんによって生かされているよと言われた、そうだと思えるようになった) 仕事が目的ではなく手段だ(神様がお前を用いて下さる、ほかのことは後からついてくる) どんなときにもイエスがご覧になっている)