お話の聞き方説明
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1995/12/03 「見よ、その日が来れば」 アモス 9:11〜15  (MP3)
セカンドアドベント 最後の審判(追試験)を通して神はすべての人を救う 神の愛をして許されない罪はない  永六輔(金さん銀さんの話し、老後のために貯金しています。老人になった時に見せるべきものを持っているか、語るべきものを持っているか、伝えるべきものを持っているか、このうちの一つでも持っていればいいのです) 今を生きる 祝福が伝わる(してあげることは恩を売ったということです) 謙遜(あるがままを受け入れている)

1995/12/17 「主役は誰か」 列王記上 18:36〜46  (MP3)
エリヤ(私の神はヤーウェです、先駆け、代表的な預言者、政治家としてのアハブ王に対して預言を伝える、偶像を拝むのは人間の欲望にもとずく、エリヤの奇跡を通して神は何を伝えたいのか) レーナマリア(スェーデン生まれ、明るい女性、自分の体のことで文句を言わない、神様に喜んでいただけることが喜びです)

1995/12/24 「あなたもマリアだ」 ルカ 1:46〜55  (MP3)
ハレルヤ(主をほめたたえよ、万歳) マリアの賛歌(ヨセフの戸惑い、聖霊による妊娠は周りの人に信じられなかったのではないか) 小山晃佑(神学者、”愛”は落ち着かない---怠け者の愛ということなどあり得ない---) 秩序を守ると愛が失われる クリスマスは落ち着かない神様の愛だ 詩編113編4節から6節 私たちは高くなることを望むが神は低くなられた(神の愛は低く低くなる者に示される) 高さ高さを要求している間は劣等感が付きまとう ”信仰が高められた”などは傲慢な思いである 信仰は知識ではない(神様が私に目をとめて下さっていることを信じることだ、謙虚さがあればいい、へりくだる) 河野 進牧師(おにぎり運動でマザーテレサを応援した 岡山ハンセン病療養所での慰問伝道をすすめられる 詩”ぞうきん”困った時に思い出され、用が済めばすぐ忘れられる雑巾になりたい)

1995/12/31 「預言と予言の違い」 マタイ 2:16〜23  (MP3)
預言(預かった言葉であり先のことを言い当てる予言ではない)の成就 天声人語(入江 昭 いりえ あきら教授「歴史から学ぶもの」 ハーバード大学名誉教授 日本の歴史認識---単発---歴史の文脈の中でとらえていない---世界史の中でとらえられていく必要がある) 日本のキリスト教の歴史(社会に対し倫理的に対応した、きわめて限界のあるものである、見ている眼が小さくなった、現象だけに捉えられて良いか悪いかの判断だけになった) 聖書が示すスケールは大きい(神の救いの歴史) 希望を与えていない預言は本当の預言でない カールバルト(不信仰にこびるな、---信仰が起こるということははだれの領域のものでもない---真剣な問いはこうである---私には信仰が欠けているというようなことに固執することを自分に許し---自分の不信仰に媚びすることはやめてしまって---神の手の中にあることは確かなのだから---人にも”私は不信仰で”ということは自分の存在の根底を自分から揺るがすことになる) 私みたいなものにはそうゆうことは起こらないだろうという受け止め方が多い、謙虚とは”私みたいな不信仰者は”とは言わない、不信仰という言い訳はやめましょう 神は不信仰をすでに許したうえで私たちに未来を与えている



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