1995/11/19
「神が神となるために」 創世記 17:1〜8
(MP3)
聖書は神の民の信仰文学的な歴史書(神の契約の歴史、神の側からの一方的な契約) 犬養 道子「聖書の言葉」(新潮社出版、---神が言われたとはどのようなことか---言うという意味は声帯と鼓膜だけで聞くことではない---花が語るとは花の言葉を直接聞いたことではない---神が言われたと信じる応答がアブラハムの信仰---新しい出発---一見おろかに見える行為が神の言葉に根差していたのだということを後の時代の人たちがよみとることが出来るようにと今、私たちが召されている、出発がなければ我々の今はなかった) アブラハムの物語は暗黒の時代に書かれた 人が生きるとは安住、安定が目的ではない(他人を顧みなくなる) 神の選びは単に個人的な問題の解決だけに留まらない 献金の目的(何かをダメにすることなしには神に応答したことにはならない、礼拝で捧げる犠牲です、私たちにとって最も値高いもの捧げる、私をささげる代わりの献金です) ポールツェルニー(スイスの神学者、---何をも捨てようとしない人は勢力を浪費する人で真の開花には到達しません---断念することが大事---失敗のほうがもしかしたら成功よりも実り豊かなものであるかもしれないということを理解するでしょう)