お話の聞き方説明
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1995/10/01 「主客転倒」 ガラテヤ 2:20〜3:7  (MP3)
信仰への証 律法はその当時の社会的常識であった、生活の上での法律でもあった、パウロはその律法を捨てなさいと言った(神様は無条件で受け入れてくださいます、これが信仰です) ぐうたらな人も救われるのは馬鹿らしい 救いは神様からのご褒美か? ルドルフ ボーレン(ドイツ神学者、プロテスタントの信者にとっても罪は個人的な事柄となっています。個人の罪はけっして個人的な事柄ではなくてむしろ教会の事柄であって---式典のとき罪が告白され、許しを願った---) 道元禅師(春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さりて涼しかりけり。本来の面目、天地の様相は全部違っている、それぞれの存在が絶対なのだ。比較の問題ではない、人間の価値観は通用しない) 八木重吉(---生きねばならなぬ、生きねばならなぬ、とやってきたのだった、そんなら死んだらとそう思ってみたら重たいものがとけていった---) 自分が死ぬことにより他人が生かされることもある

1995/10/08 「終わりが迫っているから」 ペテロ 1 4:7〜11  (MP3)
生涯の捧げもの ペテロの手紙(苦難を超える喜び、終わりを意識する、終末) 聖書の一貫している姿勢は旅人を”もてなす”ことです 尹東柱(ユンドンチュ)「死ぬ日まで天を仰ぎ」(---私に与えられた道を歩んでゆかねばならぬ、今宵も星が風に擦られる。刑務所で死んだ、治安維持法は悪法である) 森田 進(もりた すすむ、 恵泉女学園大学教授、---尹東柱の最後の声は看守の耳をつんざく---彼の信仰そのままを表したものだろう---彼は絶望しながらも絶対的な絶望はしなかった---まなざしを天に向けることを知っていたからである---彼は死の極限にたどり着いてしまったのである、死ぬ日まで天を仰ぎ一点の恥もないほど---垂直思考水平思考---) 終わりが迫っている”今日死ぬかもしれない”とは緊張感を持ちなさいということです

1995/10/22 「最後は天国」 ヨハネ黙示録 7:9〜17  (MP3)
ブルトマン(神学者---終末論的な可能性があらゆる瞬間の中に眠っている---)  岩村 太郎「賢い悪魔」(恵泉女学園大学 人文学部 文化学科 研究分野: 倫理学、未来が決める現在の生き方---終末が決める現在の生き方---毎日の生活は一日一日一回限りのものであり、明日出会う出来事とはまさに新しい出来事であって初めて出会うものとなる---古い自己、新しい自己---未来にある、あしたにある) 黙示録(終末のときにあずかる言葉”預言” ヨハネが暗号を用いて書いたドラマ仕立て”オラトリオ”、一つ一つの言葉にこだわらないほうが良い、未来の結末を心配するな、12x12は無限を意味する完全数) ローマ皇帝ドミティアヌス(キリスト教の迫害者) 内村鑑三「聞かれない祈り」(---余は余の祈念とする言葉を励ました---余の祈祷によって余の娘は必ず癒される事を信じた、余は彼女の息が絶えるまでこのことを疑わなかった---奇跡を目撃すると思った---余の娘は癒されなかった---、視点を変えた、娘の死を超えた勝利の朝である---夜の後には必ず朝が来る、マラナタ---夜を経験した者の叫び---) 神の側に視点を変えた

1995/10/29 「絶望を覆す希望」 イザヤ 45:4〜13  (MP3)
聖書は歴史の書(自分の歴史、他人の歴史) 預言(あずかることば、今を語る言葉であり予言ではない) バビロン捕囚からの解放(ペルシャのキュロス王、創世記は捕囚の絶望の時代に神に絶望しないようにとつくられた) クリスチャン(絶望状況の中にあっても決して絶望しないもの)  ニューヨークリハビリティション研究所(壁に書かれた詩、大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった、偉大なことができるようにと健康を求めたのに、より良きことをするようにと病気を賜った、幸せになろうとして富を求めたのに賢明であるようにと信仰を授かった、世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに得意にならないようにと失敗を授かった、求めたものは一つとして与えられなかったが願いはすべて聞き届けられた、神の意に沿わぬものであるにかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた、私は最も豊かに祝福されたのだ)


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