お話の聞き方説明
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1995/09/03 「賜物としての苦難」 使徒言行録 20:17〜35  (MP3)
苦難の共同体 三浦綾子「この病をも賜ものとして」(日記、試練の無い生活それが最大の試練である、平穏な時にも試練を感じているか、人の心が苦しめばそこにキリストかせ住まわれる 平凡な日常に対してこの様な平凡な日常がありうるのか、神が創りたもうたこの世に一日たりとも平凡な道などあり得ないだろうかと思わずにはいられないのである 五本の指の長さはみな違う、これが神様からのプレゼント”やまい”かもしれない) 自分の道を人と比べてはならない 与えられた使命がある 一生の間に一人も導けなかった人生がある(これも神が決められた道である) 星野富弘さんが信仰に入られたのは三浦綾子さんの「道ありき 」がきっかけであった 感動が人を生かす

1995/09/24 「万人救済のために」 テモテ 2:1〜17 (MP3)
福岡への伝道出張 青年を教会によびたい(生き生きした教会、若い人への配慮) クリスチャンとは絶望を知らない人 全ての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられる、信じているものだけが救われるのではない 平澤 彌一郎(ひらさわ やいちろう「心配無用」(足の裏研究、クリスチャン、信仰無用は無教会主義の徹底である、信仰のみが救いの条件になるとき教会はいかに堕落し全人類をクリスチャンとそうでないものとに分け隔てをするパリサイ主義にに陥るのである) 死後を恐怖の対象(地獄)として教えるときその宗教は堕落している 神のほうから災いを下すことなどあり得ない テゼ共同体(フランス、プロテスタントやカトリックを区別しないで宗派を超えている、献金や物品の寄贈を受けない、自分たちのものは自分たちの労働で賄う 裂かれた間をつなぐ、平和を作り出す) ”ロゼ”ブラザーさん(最も貧しい人たちと生活を共にしている なぜこのような目に合うのか、私たちは神に対し罪を犯したのか 私たちは神に対しとげのような心を持ちますそのような私たちに対し、神は人生の許しを同情の衣で包んで下さいます----神は私たちの過去をキリストの内に葬り---罰を下すことなどありません---試練によって新たに清められたことを発見した人もいます---フィリッピン、アキノ大統領のお母さん”アウロラアキノ”の話---) 塚本虎二先生(信仰のみなんて言うけどね、本当は何にもいらないのだよ、イエス様が全部背負って下さったんだからね、僕たちは安心していればいいんだよ)


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