1995/09/24
「万人救済のために」 テモテ 2:1〜17
(MP3)
福岡への伝道出張 青年を教会によびたい(生き生きした教会、若い人への配慮) クリスチャンとは絶望を知らない人 全ての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられる、信じているものだけが救われるのではない 平澤 彌一郎(ひらさわ やいちろう「心配無用」(足の裏研究、クリスチャン、信仰無用は無教会主義の徹底である、信仰のみが救いの条件になるとき教会はいかに堕落し全人類をクリスチャンとそうでないものとに分け隔てをするパリサイ主義にに陥るのである) 死後を恐怖の対象(地獄)として教えるときその宗教は堕落している 神のほうから災いを下すことなどあり得ない テゼ共同体(フランス、プロテスタントやカトリックを区別しないで宗派を超えている、献金や物品の寄贈を受けない、自分たちのものは自分たちの労働で賄う 裂かれた間をつなぐ、平和を作り出す) ”ロゼ”ブラザーさん(最も貧しい人たちと生活を共にしている なぜこのような目に合うのか、私たちは神に対し罪を犯したのか 私たちは神に対しとげのような心を持ちますそのような私たちに対し、神は人生の許しを同情の衣で包んで下さいます----神は私たちの過去をキリストの内に葬り---罰を下すことなどありません---試練によって新たに清められたことを発見した人もいます---フィリッピン、アキノ大統領のお母さん”アウロラアキノ”の話---) 塚本虎二先生(信仰のみなんて言うけどね、本当は何にもいらないのだよ、イエス様が全部背負って下さったんだからね、僕たちは安心していればいいんだよ)