1994/10/02 「ほんとうに信じているか」  (MP3)                         
 主題(信仰の生命) 
 国連事務総長ハマーショルド(「夜は近きにある」1953年の日記--夜は近きにあり、過ぎ去ったものにはありがとう、来たろうとする者にはよし--神の手に自己をゆだねたものは人々に向かって自由にふるまうことができる--裁く権利を人々にゆだねる--) 夜は近きにあり(--主は近い--自分の命の終わりをいつも近くに受け止めている--) 過ぎ去ったもの(--働いたことの悔い、失敗、非難も含めてありがとうが言える”神は万事を益としてくださる”--) きたらんとするものにはよし(--いろんなことがあっても、はい、どうぞよろしいように--) 
 後ろ指を指される(--守りの姿勢となり自分を正当化しようとする--責任を人のせいにする--良い悪いの評価は半々であることを覚悟する必要がある--) 判断の基準を自分におかない(--人に任せる--) 未来に不安があると現在も不安である(--不安の中に平安がある--) 
 ヘルムート ティリケ(神学者「終わりから見る」--本当に不安になった時には祈ることをやめ賛美をささげます--恐ろしい時は一瞬に過ぎ去ります--天国は賛美が満ち溢れている所--賛美をささげることはゴールが見えたということです--) 
 十字架を負う(非難と中傷を受け止める) 
 保母のナーニィさん(--明るい信仰を持っていた--面倒見ていた家の男の子が亡くなった時、にこにこしていた--新しく生まれてくる子供のために悲しんでいられない気持ちからでした--悲しみの中に生まれてくる新しい子供がかわいそう--喜びの中で受け止めたい--自分が入院した時となりのベットのおばあさんは子どもの頃サーカスの゜ピエロを見て笑ったときからいらい笑ったことのない人だった--ナーニィさんが無理して逆立ちしたのを見てしばらくぶりに笑った--心がつながった--) 
 心を打つもの(--人の評判を気にしない--一切を神の手にゆだねる--)

1994/10/16 「粘り強い生き方」 ヘブライ 11:1〜12 (MP3)                    
 言葉コンセプト辞典(--信仰=believe=木の葉”命とつながっている” クレド=小枝--宇宙は大きな木で支えられているという思いが信仰を意味する言葉として木の語源が用いられている--) 
 行動するとき何によって決断していますか(--お祈りしてから始めます。これは誤魔化していませんか。こちらが期待するように神様を動かしていませんか--) 
 ミッシェルクオスト(「イエスが新聞を読まれたら」--”苦悩”人間に最も悲劇的なことは中間の目的を究極的な目的と取り違えることだ。これは偶像崇拝に結びつく道である--) 
 どうぞ安全でありますようにという祈りはお守り札と同じ効果をお願いしている(--宗教ならどこでもやっている--) 御心にをなしてくださいはとても大切な祈りの言葉です(--悲劇的な状況になっても最後にはよくしてくださることを信じることが大切です--) 
 忍耐(--こらえること--この様なイメージでとらえられている--信仰によってこらえるのと道徳的にこらえるは違います--道徳的にこらえると耐えた末が堪忍袋の緒が切れます--信仰によって耐え忍ぶとは目標をしっかりと見定めて耐えることです--結果として耐えられたのだという思いです--生かされている間に起こる全てのことは完成に向かうための神様の訓練です--忍耐とは究極的なものを見つめているといつの間にか通りすぎてしまうものです--壮大なドラマです--私の信仰は弱いものですという意識が耐えることを生みます--イエス様のようにはできないなと思っている人に神様は可哀そうになと思って下さる--七難八苦を与えたまえと祈ることが信仰ではない--偉人といわれる人たちは結果おいてそうなっただけのことでそれを目的としてはいません--) 
 大江健三郎
にとって光さんがいなかったらノーベル賞はなかったでしょう 
 石川正一(--筋ジストロフィー「たとえ僕に明日はなくても」--23歳で走るべき道を走り抜けた--死という言葉はタブーでなかった--筋ジスだったら死を見つめる時間は十分にある--僕を幸せだ--父の言葉”詩”「ひとかわむけたとき」--神の計画は面白い--船のかじを取るのは僕じゃない、イエス様なんだと--だが海は穏やかではなかった--私の信仰はあまりにも幼すぎた--)

1994/10/30 「責任転嫁から殺人へ」 創世記 4:1〜12 (MP3)       
 ある医師の話(--ホスピスにいるがん患者にはそうでない人に使用する痛み止めより少なくて済みます--医療は薬だけが治すのでなく人の心、あるいは感じ方が体に作用します、気持ちが落ち着いていないと痛みどめの効果が少なくなります--) 
 責任転嫁(--アダムは神様が作ってくれたあの女が悪いと言いました--) アベルとカイン(--お前の弟はアベル”空虚さという意味”はどこにいるのか--イスラエルは”カイン”イスラエルはアベルに嫉妬した--カインを許した神の心の大きさ--)
 ヨッヘン・クレッパー(--墓碑銘”人種妄想の犠牲者として知人クレッパーはその家族とともに相共に死についた、われらの罪を許したまえ”--ヒトラー時代奥さんと娘はユダヤ人だった、投獄されることになった。このために家族とともに自殺した--自殺が許されない教会の掟によって墓はつくられなかった--その後19年たって墓がたてられた--彼らを守りきれなかった人々がわれらの罪を許したまえといって墓を建てた--日記”あなたたちは私から妻を奪い、子どもたちを奪うことができるかもしれない。私から服を取り上げ、体の自由を奪うこともできるだろう。しかし、私の身の上に降りかかってくることに対して、私がどう反応するかを決める自由は、私から取り除くことはできないのだ” ”ルターがしたように「わが体も、財産も、名誉も、わが妻子も取らばとりね」「讃美歌538番神はわが力」と神に誓うことが私に出来ないのは神もご存知だ ”終に私たちは死ぬ。ああこのことも神の御許でのことだ。私たちは今晩一緒に死につく。私たちの頭上にはこの最後の数時間、私たちのために闘っておられる祝福するキリスト像が立っている。この眼差しの下で、私たちの生は終わるのだ” ”あなたは強き御腕をさしのべたまいました。わざわいも私を苦しめることはありません。私の眠りがなお脅かされることがあるとしても、私は見守りのうちに安らかに生きるのです。あなたは私のまぶたに手をさしのべたもう。私は一切の憂いなく眠ります。この夜、私を導きたもう方は、明日もまた導いて下さるのですから”--宮田光雄「聖書の信仰」第7巻・信仰と芸術より--)


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