1994/08/14
「罪を語れる」 コリントU 5:14〜24
(MP3)
主題(証する共同体) 熱心な証しと祈りをする教団の礼拝に参加、どうしたらあのようになれるのか悩んだ人との会話(--ならないほうがいいとアドバイスした--教団に騙され財産を失い、家も火事になってしまい夜ひとりでは眠れなくなったとパニック状態での訴えの彼女-石川牧師はあなたはただ悔しいだけではないのまずそこを認めなさい、まずあの人を許してくださいと祈るのではなく、神様にあんな人が許されていいのですかと祈ってみたら、腹の中に煮えくり返っている思いを全部神様にぶつけてみたら、あなたは頑張りすぎる頑張りすぎるとどこかでパニックになってくるよ、今パニックなのはもう一人のじぶんがたまらなくなって暴れているのではないですかといった--しばらくして彼女は今までの私は建前で祈っていました。自分に素直になってみますといった--)
証”あかし”(--結果を自慢する成功体験証しを聞いた人はコンプレックスを持つ--イエスキリストが証されるとは自分の自慢になることを言うことではなくて私はキリストらよって許されている”私が罪びとであった”ことを伝えることです--キリストがあなたを自由にしてくださいますよいうことを伝えることです--) 井上洋治神父と山田洋二監督の対談集(「ざっくばらん神父と十三人」--井上神父団--あの寅さんは私たちカトリックの神父から見れば聖人のような気がします”--山田監督談--渥美清が語りました”演じている俺は利口だ--まてよ、ひょっとしたら寅さんがだんだん成長していって偉くなるから追い抜かれてしまうかもしれない--寅は愚かしい若者だが本当はかなわない”と語った後、彼の演技の姿勢が変わった--寅を演じている間精進潔斎をし週刊誌の類を一切読まなかった--井上神父談--相手の気持ちになりきるというのはキリスト教の本質です--柳家小さん師匠は受けようとする了見がいけない、なりきれといった--) キリストを伝える(--古い私=人に見せたい私、自慢したい私--新しい私=キリストの命をいただいた私”自分の見当はずれ、罪をしっかり自覚した私”を伝える--この世”信者だけではない”と和解した神を伝える--) 和解(--変化させるまたは交換という意味を持つ言葉から訳されている--神が和解させてくださったとは神が変化してくださった--キリストの命と交換してくださった--)
世間では無に等しいものをお選びになった(--逆説が生きるために--立派な人が貴くて、名もない人はつまらないという価値観をひっくり返すため--) 許される(--自分の過去に対して自由”自分の見当はずれを笑うことができる”になる--人の悪評も気にならなくなる--) 弱さ(--人が共感できるもの--強さには反発がある--)