1994/08/07 「命がけの奉仕」 フィリピ 2:19〜30 (MP3)                     
 主題(奉仕する共同体)
 エパフロデ(--ピリピの教会からパウロのもとに派遣された--キリストの業に命を懸け、死ぬほどの目にあった--病気になりあなた方一同に会いたがった--瀕死の病気にかかったが神はかれを憐れんでくださり、ピリピの教会に送り返すようになった”パウロの配慮が見られる”--)
 他者に仕える(--恩着せがましくなくイエスに仕えること--実際には私が喜ぶためだと思ったほうが良い”報いを望までなどと思わないほうがいい”--)
 ブース(--救世軍--「四つの愛」--傷心”保証を用意しておこうとするのが人間にとって最高の知恵であるとしましょう、神はそうした保証を人間に提供しておられるでしょうか、いいえ、そんなことはないのです--キリストご自身終わりに臨んで「なぜあなたは私をお見捨てになったのですか」と神に問われたではありませんか、愛するということは傷つきやすいのです--心を傷つけられないと思うなら誰にも心を与えてはなりません、動物を愛することすら鬼門傷心を避けたいなら--ややこしい関わり合いをすべて遠ざけ--棺おさめ鍵をかけること--しかしあなたの心は硬化するでしょう--何者に対しても無感覚な救いがたいものななってしまうでしょう--人間の魂は滅びるほかないのです--神が私たちの心を砕く方法として苦しみを選び給うなら謹んでこれを受けようではありませんか--息子のダグラスが亡くなったママに会いたいといったときブースも前後見栄なしに思い切り泣いた”悲しい時には思い切り泣いてしまう”--)
 命がけの奉仕(--マイナス”影”の部分も受ける奉仕、限界もある”期待外れ”--)
 信じる者だけが救われるということはありません(--信じないものでも救われます、それが神は世と和解”全地球”なさったという意味です--)
 つまらない私たちをお選びになった(--有能な人がえらく、そうでない人はダメな人という価値観をひっくり返すためです--) 弁護者はキリストだ(--何を恐れているのですか--)
 もうお前は許されている(--人を裁く必要はないよ”でも、悔しかったら神様に言いつければよい、必ず答えが返ってくる”--) 
「素顔の信仰生活」(中央出版社--教会での奉仕が信仰の証と勘違いしていることはありませんか--教会に通うこと自体が重荷となっていることはありませんか--悲しむ人と共に悲しみ共に泣き、助けを欲する人と共にいることのうちに神の愛は現れる--)
 自分がピカピカに見える宗教、他の人がピカピカに見える宗教 

1994/08/14 「罪を語れる」 コリントU 5:14〜24 (MP3)                     
主題(証する共同体) 熱心な証しと祈りをする教団の礼拝に参加、どうしたらあのようになれるのか悩んだ人との会話(--ならないほうがいいとアドバイスした--教団に騙され財産を失い、家も火事になってしまい夜ひとりでは眠れなくなったとパニック状態での訴えの彼女-石川牧師はあなたはただ悔しいだけではないのまずそこを認めなさい、まずあの人を許してくださいと祈るのではなく、神様にあんな人が許されていいのですかと祈ってみたら、腹の中に煮えくり返っている思いを全部神様にぶつけてみたら、あなたは頑張りすぎる頑張りすぎるとどこかでパニックになってくるよ、今パニックなのはもう一人のじぶんがたまらなくなって暴れているのではないですかといった--しばらくして彼女は今までの私は建前で祈っていました。自分に素直になってみますといった--) 証”あかし”(--結果を自慢する成功体験証しを聞いた人はコンプレックスを持つ--イエスキリストが証されるとは自分の自慢になることを言うことではなくて私はキリストらよって許されている”私が罪びとであった”ことを伝えることです--キリストがあなたを自由にしてくださいますよいうことを伝えることです--) 井上洋治神父と山田洋二監督の対談集(「ざっくばらん神父と十三人」--井上神父団--あの寅さんは私たちカトリックの神父から見れば聖人のような気がします”--山田監督談--渥美清が語りました”演じている俺は利口だ--まてよ、ひょっとしたら寅さんがだんだん成長していって偉くなるから追い抜かれてしまうかもしれない--寅は愚かしい若者だが本当はかなわない”と語った後、彼の演技の姿勢が変わった--寅を演じている間精進潔斎をし週刊誌の類を一切読まなかった--井上神父談--相手の気持ちになりきるというのはキリスト教の本質です--柳家小さん師匠は受けようとする了見がいけない、なりきれといった--) キリストを伝える(--古い私=人に見せたい私、自慢したい私--新しい私=キリストの命をいただいた私”自分の見当はずれ、罪をしっかり自覚した私”を伝える--この世”信者だけではない”と和解した神を伝える--) 和解(--変化させるまたは交換という意味を持つ言葉から訳されている--神が和解させてくださったとは神が変化してくださった--キリストの命と交換してくださった--) 世間では無に等しいものをお選びになった(--逆説が生きるために--立派な人が貴くて、名もない人はつまらないという価値観をひっくり返すため--) 許される(--自分の過去に対して自由”自分の見当はずれを笑うことができる”になる--人の悪評も気にならなくなる--) 弱さ(--人が共感できるもの--強さには反発がある--)

1994/08/28 「友だちになろう」 ローマ 12:9〜21 (MP3)      
 主題(平和を考える)
 日曜学校のこどもたちと永山教会付属ペガサス少年野球チームの合同礼拝
 体を動かすときと休ませるとき(--心の中を静かにして自分を考えてみる時が必要--)
 日本人=眼鏡をかけている=足が短い=カメラをぶら下げ゛ている(--石川牧師がナイヤガラの滝に行った。夢中で写真を撮った時、眼鏡と髪の毛が濡れたのを知らなかった、すれ違う観光客たちが笑った、日本人だから笑われたと思った、レストランに入ろうとした、入口の大きなガラスに映った私の姿をみて私も笑ってしまった、自分のおかしい姿がわかった--) 
 喜ぶ人とともに喜ぶ(--二人で同じ試験を受けた、友達は合格、自分は不合格、こんな時友達の合格を喜べるかな--)
 石川牧師の中学生時代の話(--戦争時代だった、海軍の将校がお前たちは勝つ気があるのかと怒鳴った、兵隊さんの学校に行こうと思った、生徒を代表して兵隊さんになりますといった、後から友達も続々とそういった、勤労動員中の私をわざわざ訪ねて下さった校長先生が私に話してくれた、お国のために働くことはみんな軍人になることではないよ、みんな違う役目がある、もっと知識を得て大人になってからお国のために働きなさい、兵隊の学校に行くのはおやめなさいと、それで友達の前で兵隊になるのをやめた話をした、分かってくれた友達は兵隊になるのをやめました--) 校長先生は軍からいじめられたかもしれないが私にとって良いと信じたことをしてくれた(--自分の栄誉を求めない--)



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